旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

心の師匠に、なぜか「爺ちゃん」と言ってしまった日。これは私の北辰信仰だと気づいた北斎展

10月27日。

大阪は、暑かったし、熱かった。

 

私は数日前からカゼっぽく、さらに前日になって「更年期をなめてたね」なていたらく。

朝からバスの時間を1時間勘違いするなど、もうすでにヘロヘロな感じで、名古屋から大阪へ向かった。

27日は、夜に、運営メンバーでもあるイベントの前日準備の日。

そのための訪阪だったのだが。

この4月に信州小布施に行った時仕入れていた、秘蔵品が里帰りして大阪で展示される...という展覧会会期の中に、その日が入っていたというラッキー。

行かないわけがない。

たとえ、少々調子が悪くても。

 

大阪に着いて、先に昼食かとも思ったが。

後の予定は時間が決まっているため、あまりのんびりしててもよくないと思い、その足で天王寺へ。

会場は、あべのハルカス美術館。

初めて行く。

美術館といったら、たいてい、同じ階か近辺にカフェの一つもあるものだ。

なので、まずは現場を確認してからのお昼でもよかろう...ということで、真っ直ぐにハルカスへ向かった。

 

まず、エレベーターホールに「長い待ち時間が予想されます」といった張り紙がしてあった。

「こんな平日に?」と思いつつ、16階へ上がったら。

予想を超える光景が。

 

f:id:art-hiro-b:20171030182102j:plain

 

当日チケット購入まで、40分!

 

オンラインで買えるという張り紙を見て、即、そのようにする。

それでも、入場待ちの列が長い。

30分以上は並んだか。

当然、場内は人、人、人。

音声ガイダンスはすでに品切れ。

ということは、それだけの人が、ガイダンスを聞きながら鑑賞しているわけで。

列が、全く進まない。

 

 

それでも。

私は、入り口から近いところに展示されていた、北斎と名乗り始めたばかりの頃の肉筆画一点で、この入場料はペイできたと感じた。

見たことのない作品だった。

若い頃から、あちこちの北斎展を見てきた。

でも、見たことが無い。

 

 

しかしながら、前半も見ないうちに、気分最悪になってきた。

人混みの熱気はもとから得意じゃないところにきて、休む場所もほぼない。

これはちょっとヤバいかも。

それでも、前半は特に、所見の作品が多くて、飛ばせない。

 

途中で、ようやく富嶽三十六景等の「よく見る作品群」のエリアにさしかかったので、そこはもう、飛ばす。

本当は、浮世絵は一枚ずつ全て、刷り具合や絵の具乗りが違うため、同じ作品というものはない。

だから、見たいのは山々なのだが。

しかし、背に腹はかえられない。

 

 

その途中で、やっと、一つだけベンチが空いた。

通りかかったところで、先客が席を立ったというラッキー。

やっとこさ、一休み。

 

そこで少し持ち直したおかげで、最後の方に登場した、ものすごい作品としっかり、対面できた。

あれは、状態のいい時でないと向き合えない。

北斎、最晩年の作品群。

 

思わず

「北斎爺ちゃん、ありがとう」

と、謎の声かけが口から出かかった。

心の師匠に向かって爺ちゃんかよ...と我ながら思ったけど。

そう思っちゃったからには、しかたがない。

 

北斎には、放蕩者で手を焼かせた孫がいた。

もちろん、そいつの代弁だなんて思わないけど(笑)

冗談じゃない。

 

 

以前、こんな記事を書いた。

 

今までは、「龍ってこれ?」という違和感はあるものの、見ることはとても好きでした。

当然のことながら、古典龍画を絵の手本にしたこともあるし。

自分が目指す方向はこれじゃない…というのはわかっていたけれど、龍を描くという定形パターンをある程度把握するためには、古典を手本にするのが一番いいわけでね。

しかし。

今や、その気持ちも全く無し。

龍は描くけど。 他人が描いたものは、全く、参考にしたいとも思わない。 自分でも、唐突だったので、びっくりしていました。

(ただし北斎は別。くどいようだけど)

突然やってきたマイブーム「龍体文字」 生きている文字がおもしろい! - 緋呂の異界絵師通信

 

北斎は別。

本当に、この御仁だけは別。

 

龍が、すさまじい。

 

他の作家の絵にはついぞ感じない、感覚。

龍画の名手と言われた先人の展覧会にサラッと興味を失って以来、特に見たいとも思わない、他の人の「名作」といわれる龍画の数々。

 

しかし、北斎の龍画は、それと全然、違う。

何が?

なんだろう...生命観かな。

 

単に、「龍ってこういう姿だろう」という想像で描いてるのではなくて、本当に肉眼で見ているものを描いているような。

実際に見える人だったとしても、何ら不思議はない。

っていうか、本当に見える人が見たように描いた以上に、見えているというか。

筆に龍を同化させて、それを転写してるみたいな?

うーん、それとも違う。

そこで生きている。

そういう感じ。

 

そして、今回、ものすごいかじりつくように見てきて、「造形」の面でも自分の感覚にフィットする部分がいくつかあるのを発見した。

おお、そうか、こういうことか!

という。

 

ここでも、「北斎爺ちゃん、ありがとう!」だ。

 

体調最悪、近年まれに見るような状態だったけど。

図録を買うための列がもうほんと、死にそうだったけども。

それでも。

強行軍、やってよかった。 

 

 

美術館の上の階にあるカフェで、一息。

 メニュー名は「北斎カプチーノセット」

ロールケーキとのセットメニュー。

疲れてたので、甘いものがありがたかった。

会場が非常に暑かったけど、体は冷えてたのか、カプチーノもありがたかった。

f:id:art-hiro-b:20171030182105j:plain

 

北斎爺ちゃん。

あー、もう、なんか、その名前でしか思い浮かべられない。

 

なんと恐れ多い。

 

でも。

龍は、いただく。

他の作家の絵を見ても一向にピンと来なかった「ある部分の造形」が。

ああ、そうそう、これだ!と思えた。

あの造形。

 

私の絵にそれを盛り込むには、何がどうなったらそうなるのか、ちょっと今まだよくわからないけど。

とりあえず、エッセンスだけはいただいた。

 

何年か前、線画をトレースして模写したことがあったけど。

あれを、またやるか。

私の写経を。

 

そうか...北斎は、私にとって「好きな絵師」とかいう話ではなくて。

私版の「北辰信仰」なのか。

なるほど、納得。

 

ここまでこんなこと書いて何だけど...私、北斎の絵が超好き、というのとはちょっと違うのだ。

絵が好き?実は、そこ、ちょっとよくわからない。

全ての絵が好きということはないし。

全く興味引かれない絵も、たくさんある。

この人の絵が好き、と言ってしまうには、ムラがありすぎる気がする。

...と、今までも思っていたけれど。

もはや信仰だから、「好き」という感覚じゃないのだなきっと。

 

でもまあ...誰の絵が好きですか、ってざっくり聞かれたら、ざっくり答えるには「北斎」て言うのがベストかな...とは、思う。

 

 

★外部サイトからも読者登録できます!→

 

 


掲載画像、文章他の転載はご遠慮ください。引用の際は出展元の明記をお願いします。