どうでもいいお話
神絵の描き手ではあるけど、私は古代文明とか、隠された本当の歴史とかいう類いのことには、ほとんど興味が無い。
スピリチュアルな人達(ていうのも妙な呼び名だけど)の中には、古い遺跡とか聖地巡礼みたいなことを頻繁に、熱心にされている方達もいらっしゃる。
私は、神社は行くけど、山の奥の磐座を巡回する...みたいなことは興味がない。
暗号解読も、隠れた神の符号といったことも、ほとんど興味がない。
古事記は、編纂された当初から、大きな改変を意図的に加えられている、と考えている。
歴史にも詳しくないけれど。
そして、そう思っているからと言って、その謎を解きたいとか、正しい歴史を知りたいなども、別に思わない。
私は、至って、現代人で。
大和言葉は美しいね、ていう域を超えない。
信心もあるけど、取り立てて熱心とも思わない。
なぜか描くものが天使から神になってしまった...というだけだ。
実際、そうなる前は参拝だって、初詣と行事の時以外は行かなかった。
なのに。
不思議に、「これ、なんか違うよね」と、根拠もなく、しかし確信に近く、通説を否定する感覚が、一部、ある。
というか。
だから、上の方に書いた「古事記は編纂された当初から...」ていう思いがあるのだけど。
史実の暗喩としての神話だ...とか。
実際の出来事を物語として伝えているのだ...とか。
古事記が、書かれている通りのものではなく、それ自体が暗号だ、といった説もあるようだけど。
私の感覚が、それと同じかどうかは、定かでない。
なにしろ、「一体、何を指しているのかも不明」なことが、たくさんあるからだ。
歴史が好きで詳しければ、もっと謎解きをしたいと思ったかも知れないけれど。
残念ながら。
それでも、自分の内側から来る、「これ違うよね」の感覚も消えないし。
そうなると、通説を元にご神託を下ろしているチャネラーさん?巫女さん?なんていうの?まあ、そういう、口伝者とかメッセンジャーといった人達が語っている内容に対して
「????????」
ばかりになることも、よく起きる。
きっと、私の思う○○神と、この方達の言う○○神は、違う階層の○○神なんだ...とか。
思うようにしてる。
なにしろ、証明などできないのだし。
今まで、すごく、「いや、これ違うよね」が大きくて。
しかも通説となっている伝承が、もう、とても有名すぎるもので。
おかげで、なかなか居心地が悪い...と。
いう、「とある場所」があったんだけど。
自分的には、なんかトンデモ話だなあ...と自分の感覚を思っていたんだけど。
最近になって、私が「いや、これ、ここじゃなくて、あそこでしょ」と思っている通りの説を研究伝承している、という方と繋がった。
驚いたのなんのって。
そんな説があったんかいーーーー!て
いや、実を言うと、そんなの出てきて欲しくなかったな、とか。
妄想だけで終わってりゃよかったのに。
なんでやねん。
ていう。
ただ。
その方達が研究してらっしゃる「根拠」が、なんかちょっと......
私に、しっくりこない。
「え?そういうことなの?だからなの?」
と、思いつつ。
その方達の研究を、チラ見。
でも。
地名は確かに、私が思っているあたりの場所に違いない。
あーーーーーー
気持ち悪い~!
私は埋もれた歴史を発掘する気もないし。
伝承を正したいとも思わないし。
マニアでもないし。
どっちか言うと、どうでもいいのに。
なんだろう、この、「でも、それ違うよね」感は。
「いや、こっちでしょ」感は。
失われた古代史の謎を解く!的なことが大好きな人に、この薄気味悪い感覚を、まるっと、差し上げてしまいたい。
そんな風に思うことも、よくある。
そしたらきっと、喜んで、熱心に、その根拠を求めて仮説を立てて立証してくださるだろうに。
神サマ方、指名相手を間違ってるよ...
出雲の、某公園。
なにもかもが、「いや、違うからこれ」だったりする。
まあ。
どうでもいい話ではあるけどね。