旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

どうでもいいお話

神絵の描き手ではあるけど、私は古代文明とか、隠された本当の歴史とかいう類いのことには、ほとんど興味が無い。

スピリチュアルな人達(ていうのも妙な呼び名だけど)の中には、古い遺跡とか聖地巡礼みたいなことを頻繁に、熱心にされている方達もいらっしゃる。

私は、神社は行くけど、山の奥の磐座を巡回する...みたいなことは興味がない。

暗号解読も、隠れた神の符号といったことも、ほとんど興味がない。

 

古事記は、編纂された当初から、大きな改変を意図的に加えられている、と考えている。

歴史にも詳しくないけれど。

そして、そう思っているからと言って、その謎を解きたいとか、正しい歴史を知りたいなども、別に思わない。

 

私は、至って、現代人で。

大和言葉は美しいね、ていう域を超えない。

 

信心もあるけど、取り立てて熱心とも思わない。

 

なぜか描くものが天使から神になってしまった...というだけだ。

実際、そうなる前は参拝だって、初詣と行事の時以外は行かなかった。

 

 

なのに。

不思議に、「これ、なんか違うよね」と、根拠もなく、しかし確信に近く、通説を否定する感覚が、一部、ある。

というか。

だから、上の方に書いた「古事記は編纂された当初から...」ていう思いがあるのだけど。

 

 

史実の暗喩としての神話だ...とか。

実際の出来事を物語として伝えているのだ...とか。

古事記が、書かれている通りのものではなく、それ自体が暗号だ、といった説もあるようだけど。

 

私の感覚が、それと同じかどうかは、定かでない。

なにしろ、「一体、何を指しているのかも不明」なことが、たくさんあるからだ。

歴史が好きで詳しければ、もっと謎解きをしたいと思ったかも知れないけれど。

残念ながら。

 

それでも、自分の内側から来る、「これ違うよね」の感覚も消えないし。

そうなると、通説を元にご神託を下ろしているチャネラーさん?巫女さん?なんていうの?まあ、そういう、口伝者とかメッセンジャーといった人達が語っている内容に対して

「????????」

ばかりになることも、よく起きる。

 

きっと、私の思う○○神と、この方達の言う○○神は、違う階層の○○神なんだ...とか。

思うようにしてる。

 

なにしろ、証明などできないのだし。

 

 

今まで、すごく、「いや、これ違うよね」が大きくて。

しかも通説となっている伝承が、もう、とても有名すぎるもので。

おかげで、なかなか居心地が悪い...と。

いう、「とある場所」があったんだけど。

自分的には、なんかトンデモ話だなあ...と自分の感覚を思っていたんだけど。

最近になって、私が「いや、これ、ここじゃなくて、あそこでしょ」と思っている通りの説を研究伝承している、という方と繋がった。

 

驚いたのなんのって。

 

そんな説があったんかいーーーー!て

 

いや、実を言うと、そんなの出てきて欲しくなかったな、とか。

 

妄想だけで終わってりゃよかったのに。

なんでやねん。

 

ていう。

 

 

ただ。

その方達が研究してらっしゃる「根拠」が、なんかちょっと......

私に、しっくりこない。

 

「え?そういうことなの?だからなの?」

と、思いつつ。

その方達の研究を、チラ見。

 

でも。

地名は確かに、私が思っているあたりの場所に違いない。

 

あーーーーーー

気持ち悪い~!

 

 

私は埋もれた歴史を発掘する気もないし。

伝承を正したいとも思わないし。

マニアでもないし。

どっちか言うと、どうでもいいのに。

なんだろう、この、「でも、それ違うよね」感は。

「いや、こっちでしょ」感は。

 

失われた古代史の謎を解く!的なことが大好きな人に、この薄気味悪い感覚を、まるっと、差し上げてしまいたい。

そんな風に思うことも、よくある。

そしたらきっと、喜んで、熱心に、その根拠を求めて仮説を立てて立証してくださるだろうに。

 

神サマ方、指名相手を間違ってるよ...

 

 

出雲の、某公園。

なにもかもが、「いや、違うからこれ」だったりする。

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まあ。

どうでもいい話ではあるけどね。

 

 


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