緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

ずっと「仕掛けられる側」のままでいるのか否か 革命のファンファーレを己が人生で鳴らそう

話題の本、「革命のファンファーレ 現代のお金と広告」読みました。

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

 

 

西野さんの本は、昨年の「魔法のコンバス」も、「えんとつ町のプペル」も買った。

そしてもっと前に、西野さんが一人で制作させれていた頃の絵本のうち、「Dr.インクの星空キネマ」も第二版のものを持っている。

 

芸人としての西野さんは知っていたけど、「知っている」という程度。

レギュラー番組は、家族が見てたように記憶しているけど、私はもともとテレビを見ないので。

西野さんについては、絵本が出た時に書店で見て、「なんだこれ、すげえ!」と思って買ったので、芸人だから云々という意味では何も、思うことはない。

 

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今回の新刊は、「魔法のコンバス」に書いてあったことを繰り返している箇所が多いので、前書を買う方がいい、という意見も聞いている。

が、私はそうは思わない。

 

繰り返しているところは確かに多いけれど。

一言一句同じものが再録されているわけではなく、前書の後に起こった出来事を踏まえて改めて書かれているわけで。

そして、前書の頃と現在とでは、時代はすでにまた流れていて。

読み手も違う。

私は両方を読んでいるけど、去年の私と今の私は感じ方が全く違う。

 

西野さんのブログ等を読んでいれば、書かれていることの大半は、「既読」な感覚になることばかり。

ただ、それを、「記事」という刻まれた単位で読むのと、まとめられたものとして読むのとでは、全体のフォルムはまるで違う。

 

だから私は、前書を持っている人やブログ読んでいる人はもう買わなくていいよ...なんてことは、思わない。

 

前書は、タイトルの通り「コンパス」だった。

本書は、タイトルの通り「ファンファーレ」だ。

  

 

プペルは、西野さんの個人販売サイトで予約して買った。

かなり最初の方だったと思う。

かなり待って、届いて、それからほどなくして「全編無料公開」があった。

紙の本とデータ、それは「同じもの」ではない。

だから、その意味で、データを公開したからって「本を無料で配布」したことにはならない、と私は思った。

中身が読める、絵が全部見られる...それが何か?

本という物質として完成された「作品」は、データとは似て非なるモノだ。

データをどれだけ無料にしたところで、本は本。

買った客に失礼だ、という意見もたくさん見たけど。

そもそも、「それは同じものじゃない」のだ。

 

 

もしかすると、私は、そういう感覚そのものは、西野さんに近いものを持っているのかも知れない。

制作過程や材料なども、別に何も隠す必要はないと思っている。

だから、「調合した釉薬や絵の具」を売ってほしいとお願いして断られた...などの時には、もうそれ自体が不思議でたまらない。

同じ材料を使ったからって、すぐに同じクオリティになるわけがないし。

クオリティが並んだとしても、作るモノの方向性は全員違う。

そういうところを拒否する、というのは、それ自体が

「わたしの手がけているものは、薬剤ありきであって、薬剤のポイント以外はたいしてないのです」

と自分で宣言しているようなものじゃないか?

 

そんな風に、様々、「既存の在り方」には疑問を持つことが多い。

※もちろん、その薬剤が手に入らなければ「望む結果を引き出すことが困難である」という現状を見れば、苦労して調合した薬剤をホイホイと他人に使わせるに抵抗を持つ...というのは、わかることはわかる。まあ、だから「売って」と言っているのだけどね。くれ、って言ってるわけじゃなくて。

※実際に私は小分けしていただくことができたので、理解のある作家さんを通していて幸運なわけだが。

 

 

 

しかし。

私には、「疑問を持つ」レベル以上の発想が、なかなか、生まれない。

自分が何を作るのか、というところはともかくとして。

そういう疑問が出てきた時に、それを徹底的に考え尽くして「じゃあ、こう仕掛けよう」というところまで育てあげ、それを実行する。

そういう執念のようなものが。

今ひとつ...というか、ほとんど、私には欠けている。

そういう役割じゃない、とか言うのは簡単だ。

それで片付ければ、「できる人がやればいい」と眺めていられる。

 

しかし。

しかし。

しかし。

 

面白くないじゃないか。

 

昭和40年という時代に生まれて。

平成になった時にはもう成人していて。

Windows95とインターネット黎明期を通り、iPhoneとスマホの登場を経て現在に至る。

その流れの中で、ずっと生きてきて。

今や、あらゆるシステムが根底から様変わりして仕組みが覆されていく中で。

何かを生み出す、ということをライフワークにして生きていて。

 

なぜ、自分は、「なぜだろう」から、「仕掛ける」へ構築しきることができないのか。

 

 

ほらほら、またぞろ「できないところにフォーカス」してるよ。

...と。

そういう見方をする人は、思うかも知れない。

 

もし、本当にそう思った人がいたら。

「じゃあ、あなたはそのまま、できるところだけ見て生きていけばいい」

と、お返ししましょう。

 

できないことを直視し、そこに悔しさを味わう。

それは、伸びしろを叩き伸ばすためには必要なことなんです。

したくない人は、しなくてもいい。

私は、そこに「まだ可能性がある」ことを知っているから、やめないだけ。

 

 

自分の作品一枚、売り上げることができない人間が何を言うか。

そんなことは、自分が一番よくわかっている。

だからこそ、「なぜだろう」と、一層思う。

 

そういう意味でも、こうして、仕掛けてきた道筋を教えてくれる人や本の存在は、何ものにも代えがたい、ありがたいものだ。

 

 

他人が鳴らすファンファーレを聞いてるだけで、満足ですか?

自分の人生でも、鳴らしたくないですか?

 

私は、鳴らしたいよ。

 

 

 

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