【伝言】伝達者の本来の役割は意訳ではない
意図的に、見えない存在とのコンタクトを図ろうとする場合。
人が特に注意すべきことは、必要以上の「解釈」を加えようとすることだ。
特に、自分自身の価値観や感覚から隔たったことがその内容として伝達された場合。
多くの人は、自己の理解の範囲に収めるために、意訳しすぎる傾向にある。
仮に、数字だけで伝えられた場合は、数字だけを記録、伝達すればよい。
それが何を意味するかを、無理に解き明かそうとしないことだ。
そうしなければ意味がわからない、と言いたいであろう。
しかし、そもそも人の理解の範疇ではないことが伝達されている場合も多い。
それを、その時の伝達者個人の見地において大きく解釈を加えることは、伝達されるべき内容を歪めることになる。
伝達者は、意味がわからない時も、意味がわかるように言い換えるべきではない。
個人の未来などについての伝達などで特によく見受けられることとして。
「意味を教えてほしい」
「具体的なことを教えてほしい」
といった要求に対して応えたい、あるいは応えるべきという思い込みのために、恣意的に内容を意訳しすぎる傾向がある。
意訳は時に必要な場合もあるが、おおむね、余計なことなのである。
解釈は、与えられた者が自分自身で行い、自分自身の見地において吟味すべきことである。
伝達者は、そのままのカタチで、できる限り改変を加えないで渡すのが本来の役割と心得よ。