緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

「カミサマをディスる曲」考 神は何一つ、止めようとはしていない

この話は、もう少ししてからじっくり書くつもりだったのだが。

現時点でも書けることは、書いておこうかなと。

 

何かというと。

カミサマをディスる曲

というのが、今、作られつつあり。

その元になった記事がありまして。

それが、こちら

kasakoblog.exblog.jp

 

作られつつある曲のデモ

カミサマをディスる曲デモ(かさこ)2017/7/24 - YouTube

 

これが完成したら、この件について書こうって思っていたのだ。

なぜかというと、まだ歌詞が変わるかも知れないから。

未完成だからね。

たぶん、まだまだ、盛り込みたいことがご本人の中にあるだろうな、と思うので。

でもまあ、その時に私が思うことも、今とそれほどは変わらないかなとも思うし。

 

 

 

今のところ、この件について言及されている記事で共感したのは、こちら。

blog.gamachan.com

blog.gamachan.com

 

上の2記事の筆者、ガマちゃんは、私と違って敬虔な方。

きっと、私とは「神を信じる」と言っている、その在り方が違うと推測もしている。

けれど、宗派や神の種別に関係なく、信仰というものへの姿勢っていうのは、比較的共通しているところもあるのかな、って、勝手に思っている。

 

ただ、一神教を信じるか、私のように何でもあり派かでは、アウトプットの結果は似ていても発端やプロセスは全然違うのかも知れない。

そこは、じっくり話をしてみたいな、っていう気も、してる。

 

 

 

で、この曲について。

かさこさんの「神とはもう一人の自分であり~」という記事は、私は大好きな記事。

その通りだと思っている。

一人でも多くの人に読ませたい、と思える記事だ。

 

そして、今作られつつある「カミサマをディスる歌」。

これにも、私はけっこう期待している。

f:id:art-hiro-b:20170801102334p:plain

 

だって、この通りだからだ。

あなたの存在が紛争の種。

 

そして、信じる、という標語を掲げることによる、思考停止。

 

一神教の神を指しているとはうかがえる。

が、そうでない世界観に対しても、十分に、同じようなことを言いたくなることはある。

少なくとも私には、本当にしょっちゅう、 

 「オマエらなんか、いない方がよっぽどいい」

なんて、思えてしまうわけで。

 

 

 

でも。

残念ながら。

そうじゃないんだよね。

 

その通り、だけど、そうじゃない。

 

一面ではその通りであり。

別の一面では、そうじゃない。

 

 

 

神とは。

在る、ということ。

 

それは、人間の疑問への回答をくれる存在...というわけではない。

疑問への回答は、人間が自分自身でつかみ取る以外に、ない。

神は、その場を与えるだけ。

 

幸も不幸も、神の意向であるとも言え、そうでないとも言える。

 

神がいるのに、なぜ何万人もの人が死ぬ震災が起きる、戦争が起きる。

 

だって。

神は、それを止めようとはしないから。

神は嘘つきなんじゃない。

犯罪をなくそう、災害をなくそう、戦争をなくそう。

なんてことは、一つも、約束していないから。

 

人を導くって言ってるじゃないか、って?

それもね。

人間の解釈でしかないと私は思っている。

 

 

じゃあ、なぜこの曲に「期待してる」なんて思うか?

 

それは

「考えるきっかけになるから」

だ。

 

大きな流れに投げ込む、一つの小石。

 

 

考えるきっかけのために、余白のある歌詞を作る。

彼の曲は、どれもそうなっていると私は思っている。

 

実は、「シンガーかさこ」には全然興味がないんだけど。

(それを本人にも公言しているけど 笑)

詩は、けっこういいのがあるな、とは思っているんだよね。

 

この曲については、完成したらまた、何か書くかもしれません。

私は、この曲を押してますので。

 

 

そんでもって。

もし、神がいなければ、そもそも世界も無いんだよ。

見えなくても聞こえなくても、感知できなくても。

興味が無くても、知らなくても。

個人がどう思っても...ね。

 

 

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