書かずに、言わずに済ますより、書いて言って伝わらなかったという方がマシ...なのだ
文明の利器を使って、オンラインで遠く離れた人と会話できるようになった。
あるコミュニティで知り合った人たちがオンラインで公園やスナックを開いたり、教室を開いたりしている。
私も最近、少し積極的に人と話す機会を設けることにしていて。
そのために、オンラインを便利に使わせてもらっている。
まだ実験中で特にサービスとしての名称を決めていないが。
オンライントーク、という仮称で、何名かの人とお話した。
そして、昨夜は、私がゲストとして招かれる側になってのオンライントークもやらせていただいた。
こちらが設定する場であろうが、ゲスト側であろうが。
私のしゃべることはあまり、変わらないのだけども。
ただ。
昨夜は、自分が場を設定している時よりも、
「聞かれたことに対しての答え」
に徹することを心がけた。
スピリチュアル的な仕事をしている人が最近急に身辺に増えた、という方がお相手だったので、私にとっても
「お、そこ不明なのか!」
と感じることもいくつかあり、よい機会になった。
同時に、こんなことも考えた。
やはり、書かずに済ますより書いて伝わらなかった方がマシで。
言わないで歯痒くイラっとなるなら、言う機会を作る方がいい。
と、いうことだな。
と、再認識の夜。
しゃべる機会を設けることによって、何をどうしようとしているのか。
今は、自分でも定かでない。
ただ、昔、天使業界の片隅に入り込んでしまった頃に感じていた、とてつもない違和感と怒り。
当時、それをすごくブログに書いていたのだけど。
その頃は、「こういう世界に知らずに来てしまって、もらい事故のようなことから深みにはまる」人が少しでも減ればいいな、と思っていた。
ところが、慣れるに従って、また、自分の立ち位置が変わってくるに従って
「まあ、はまっていく人は、それはそれで仕方ないか」
のような諦めやら、そこまでする意味もないかな、といった厭世的感覚が先行してきていて。
近年では、かなりマイルドになり、どうでもいいか~な姿勢が常になっていた。
だいたい、私はやっぱり、知識的にも、自分の能力的にも、大したアドバンテージがあるわけじゃない。
そんなに大きな事は言えないし、正確なことをわかっているわけでもない。
実証も少ない。
ていうことで、消極的なままだった。
でも。
やっぱり、それもどうかな、って。
大したアドバンテージがなくとも。
私には、唯一、「これだけは、最初から、すごい精度で装備していた」という、
「見えない世界の、超えるべきでない一線を感知するセンサー」
があって。
「見えない世界のど真ん中で恐ろしい苦悩を背負って、生還してきた人」に鍛えてもらった羅針盤があって。
もしかしたら、この二つだけでも、そうそう揃えられない強力な手札なんじゃないだろうか。
だったら、やっぱり、その羅針盤に従って、ごく少ない人にでも伝えられることは伝えた方がいいのかも。
書かずにおくよりも、書いた方がいい。
伝える手段があるなら、使っていくほうがいい。
私の言ってることが「正しい」のかどうか、ってことよりも。
フィットするかどうか、ってことが大事で。
受け取る人自身が、その人の感覚と言語によって感じて考えることが一番大事で。
少なくとも、その点だけでも繰り返して伝えることはできるわけで。
やっぱりどうしたってスピ業界から離れることはできないのだしね。
少しでも、自分も居心地よい場になれば、いいしね。
そんなことを実感した、昨夜のオンライン。
これから、少人数のグループトークもやっていくことにしました。
マンツーマンは深められるからいい。
グループは、視点が多くなるのがいい。
オンライントーク中に私がやってた事については、こちらをご参照。
マンツーマンのトーク会は、次回は8月4日にやる予定です。
興味ある人はまず、Facebook友達からね。
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