緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

見る人に専門知識がないのは当たり前。知識ある人しか動かせないなんて、嬉しくない

伝統的な芸術品などは、見る側の素養も必要なので、それが自分に足りていないという面は至らず残念ではあるんだけど。


そうだとしても、全然いいと思えないモノもいっぱいある。


技術的にどれほどの難易度があるものなのか…とか。
どれほど貴重な材料を使っているのか…とか。
そういうのは、見る側にとっては、どうでもいい情報のことも多々あって。


私は、難易度の高い技術を研鑽している人を無条件ですごいと思うタチ。

だから技術面での高度さには感動しやすいけれど。


それも、「それが高度である」という知識があっての話。


知識がなければ、

見てもわからない=その点での感動は薄い。

 


でも。
見る人に専門知識がないことの方が当たり前なのであってさ。


それを説明しなければ感動されない…っていうのって。
やっぱり、なんか、モノとしての存在感は薄い、っていうことなんじゃないのかな…って思ってしまう。

 


説明がなんか一切なしでもぐっと動かせる。
やはり、そういうものを目指したい。


「おお!」→技術や素材の高度さを後で知ったら一層感動


という順番が望ましい。


逆は、私なら、イマイチ嬉しくない。

 


以前あれこれ考えていた時に書いたメモノートを見ながらの反芻。

 

 

 

 

 

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