よき自分になれたと思えば、受け取ったものを還元したいと感じるわけです
今でこそ、「人当たりがよい」とか「話しやすい」とか「気さく」とか「なんでも話していいって感じ」とか、様々ありがたい印象をいただいておる私ですが。
かつては、無愛想が服着て歩いてるようなヤツでした。
人に会いにあちこち出歩くことなどあり得ないし。
会いに来てくれることももちろん、ないし。
仮にあっても、何しに来たんだと言わんばかり。
(ていうか、実際に言ってた気がする.....)
それでは生きていくのに支障が出始めたのは、業界全体がブラックだった版下制作をやめて一般企業のOLに転職した時です。
メーカー販促部門の中途採用になぜか採用していだき。
それまでは想像上の制度でしかなかった「完全週休二日制」だの「17時台の定時」だの「ボーナス2ヶ月分」だのといったことが自分の身にも起きてびっくりしていた頃。
周囲にいる同僚の女性たちは、バブル末期の華やかさ。
やたらと美人が多い職場で、その点は実に目の保養でうれしかったものです。
眺めているだけならば。
しかしながら。
当然のように、関わる必要が出てきて。
まず難関は、ランチタイム。
初めのうちこそ断ったりしていたものの、そこはやはり、その環境でうまく生活していくには、多少はなじまなくてはな、と思い直したわけです。
うまいことに、当時直属の上司だった男性と徹底してソリが合わず。
毎日のように、大げんかしていました。
その上司が他の女性社員たちからも好かれていない人だったものですから。
日々のケンカっぷりを密かに楽しんでくれている人たちが増えてきて(笑)
知らないうちに、そこそこなじむことができたわけです。
何が幸いするかわからないものです。
だいたい1年くらいすると会社を替わりたくなるという困った性分だったのですが。
その会社は、途中で配置換えがあったりして気分が変われたおかげか、結婚退社するまで3年弱働かせていただきました。
そして、その期間に、オタクでない人たちとどうにか話ができるようになり(笑)
いろんな意味で、あの会社はありがたかったです。
以後、専業主婦時代を3年ほど経て、在宅データ入力を皮切りに、Webデザインを請け負うようになり、制作会社に勤務するようになり、またフリーに戻り、絵描きになり。
人と接する時に緊張も苦痛もなく過ごせるようになりました。
愛想の良さや、比較的誰とでもそこそこ受け答えできる感じや。
知らない人との会話を楽しめる感じや。
そんなのは、まだまだ、私の人生上は「最近そうなれた」にすぎないのです。
でも。
そうなれたことが、よかったなと本当に思います。
受け取ったら、還元したいよね。
私には、数年前から「やりたいな」と思っていることがあります。
それは、
みんなが床に車座になって、雑談しながら思索を深める場というのを作りたい
ということ。
一対多の講義形式ではなく。
コの字型テーブルの会議式でもなく。
真ん中にたき火を囲んだり、大きな木の木陰や噴水の周りで議論をしたり。
そんな時代のような会。
で。
私は、みんながそれを楽しんでいるのを、少し離れたところで眺めたい(笑)
もちろん自分も入りたいんだけど。
そういう光景を見たい、というのが、すごく強くあるんです。
根底にあるのは、
「その人が自分で考えて感じて、自然なカタチで勝手に変化していく」
という力を生み出すことをしたい。
私が教えるとか、導くとか、そういう話じゃないんだよね。
呼び水を差し向けることは必要かなと思うけれど、そんなのは最初のうちだと思うわけ。
還元の手段は、たぶん、自分で無理に考えなくても、適時適切なる手法が見えてくるはず。
なんか妙な確信(笑)
それっぽいことを書いた記事があったのを思い出したよ。
誰か特定の人間がいつもリードする、というのではなくて。
教える側と教わる側に分離しているのでもなくて。
雑談のようにテキトーに会話しているうちに、自然と思索が深まり、自分の力になっていく。
そんな場です。
私のテリトリーはモノを作ることだけど。
結局のところ、私がしたいことは、「その人のエネルギーが自然にあがるための触媒」を作りたい、ていうことで。
だから、題材が神だの天使だの龍だのという象徴的なものたちなのです。
ダイレクトに人を描くよりも、少し引いた視点でもって...それこそ、談笑の輪から少し離れたところから全体を眺めているような感覚で。
いつも人のそばにいて、常に人を支え続けてくれる存在を通して、人を描く。
それが、私の絵師活動だな、と。
トークしながら描いたラクガキの一つ