緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

ストレスのある状態も、それが好き道の上にあるものなら燃料になるのだよ...という話

マラソンでも、登山でも、かなり厳しい環境に追い込まれることになるような類いのことを「好きでしょうがない」タイプの人たちがいて。

彼・彼女らに、

「そんなことは厳しくて心身に負担がかかるから、ほどほどにね」

と言ったところで。

彼・彼女らにとってそれはとても好きなことであるからには、自分が調子が悪いと思って休止する気持ちにでもならない限り、やめるとはならないだろう。

 

好きでやっている、というのは、そういうことだ。

 

それをやる上で、とても負荷がかかるとしても。

それを上回る「好き」がある限り、そうなるだろう。

 

そして、彼・彼女らには、それも含めての「好き」なのだ。

だから、負荷がかかってストレスになっているだろうからやめなさい、なんていうのは、ナンセンス。

 

 

好き、というのは、そういうこと。

 

仮にイヤな行程が含まれているとしても。

それが理由でやめるとはならない。

 

体や脳や、メンタルが「快適」であるという状態は、決して、「ストレスが一切ない」とイコールではない。

 

好きでもなんでもないことでストレスになるのは快適ではない...というだけだ。

 

 

「そこにエベレストがあるから(登るのだ)」

っていう名言。

これを発した登山家は結局、山で命を落としている。

それで満足だったかどうかは、もう誰にも確認はできないけど。

常に、その可能性は考慮しながらのエベレストだったことは、確かだろう。

 

死ぬかもしれない登山に臨むことを好きと思わなければ、そもそもそんなことはしない。

そこらへんの山とはわけが違うのだし。

 

 

 

...と。

なんか、そんなような会話をしました。

 

その会話の相手によると、私はけっこうな頻度で、精神の極限近いところまで行こうとするらしく。

戻ってくるのかどうか、時々不安になる...らしい。

まあ、その表現が本当に適切かどうかは、議論の余地はあるけれど。

 

でも、私にとってはそれは、登山家にとっての山みたいなもので。

マラソンランナーにとってのコースみたいなもので。

 

なにかをつくる、ということとセットになっている...いや、むしろ、そのために作ることをしているというくらいのもので。

 

そこにブレーキをかけるのは、あり得ないわけ。

 

 

みんな、誰だって、つらさを内包した「好き」の道を歩いてる。

つらさやストレスが全くない道なんて、どんな道を選んでも、あり得ない。

一般的に人が幸せだと言える(と多くの人が認めるかもしれない)状態...その最大公約数というのは、あるとしても。

ぴったりそこだけ、という人なんて、きっと、いない。

 

その選ぶところが珍しい場所だ、っていう人間はいるだろうし。

もしかしたら、私もそのクチかもしれないけれど。

これが私なので、そこはもう、ノータッチで。

 

 

 

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