求めたのは「でも、だからこそ」
とある「案件の答え」を、3種類用意する。
1,2,3と番号を振る。
その内容も、案件についての説明も、不要。
単に、自分の中で「この案件についての回答は、1:○○、2:**、3:××」と決めておけばよい。
そして、このセッションのリーダーさんに、番号だけを読みあげる。
その時の「私」を、リーダーさんは、読み取る。
そういう進行だった。
これで何がわかるか…というと。
1~3の「答え」に、「私本人の空気(エネルギーと言い換えてもいいのだろうけれど、やはり、空気だと思う)」の動きを、読む。
主として、そこに含まれる「感情」を。
は?なに言ってんの?
ありえなーい!!
ダメダメ、NO!
ふざけんなよ…
こんなのやだー!
なにそれ、がっかり……
なんか悲しい
直視できない…
出しておいた答えは、どれも、私自身が考えた結果なのに。
そして、本命はこれかな…とも、思いながらのことなのに。
私がメモに書いた案は、そのほとんどが渋~い顔。
そして、「これなら、まだ、現実味がある」という反応をしているらしいのは、本命ではない案だった。
本命ではないどころか。
このために、急にねじこんだような。
でも、それが、私の醸し出した空気から読める、最も「採用に足る案」だった。
頭は、本当に、騙すのがうまい。
もちろん、このやり方について疑問を持つ人も、多いと思う。
なんだそれ…と感じる人も、いるだろう。
なにしろ、何一つとして、リーダーさんには説明をしていないのだから。
問題も、答えも。
それでも。
だからこそ。
そう。
私がこのセッションに望んだのも、まさに、その「でも、だからこそ」だった。
理屈で出す答えではない。
自分の状況や技能、置かれている状況、社会情勢…そういった様々な「もっともらしい材料」をいろいろ吟味してはじき出す計算の答え。
そんなものは、今、求めていない。
そうじゃない。
これは私の最大に苦手な分野だから。
考えることすらイヤだということだから。
だけど、これを避けることは絶対に、出来ない…ということだから。
私は、市場がどうだこうだ能力がどうだこうだ、ということではなく。
「私は本当は、どこを落としどころにすることが、最も気持ち良くできると感じているのか」
というのが、何よりも問題なのだ。
心ではなく、魂の望むポイントだ。
もちろん、言われたことを信じて採用するかどうかは、最終的には自分で判断するのだが。
思ってもみなかったところに着地した感じは、ある。
しかし…この「思ってもみなかった」のうちの何割かは、心がわざと見ないようにしていたせいだ…とも、自分でわかる。
「それで、すぐにすんなりいくっていうのは、ないと思います」
と、リーダーさんは付け加えた。
「その答えは、それならトライできる、チャレンジとして、慣れていくためのもの」
だと。
本当の魂的な到達したいポイントは、かなり遠大。
しかし、そんなところに一足飛びには行けない。
行くための、飛び石…その一つ。
「本当の目的地」を描いてくれたけれど。
その景色は、確かに、私の中にはずっと、あるものだった。
やっぱり、それを目指すのか…というのが、私の率直な感想。
大変なんだよね。
そうそう簡単には、行けないところだから。
でも。
「無理でしょ」という感じはしない。
そうなんだよ、無理だと感じない…つまり、可能であると。
私は、思っているのだ。
このカードで?
それが可能になる?
その景色は確かに、今までも思い描いていた景色。
だけど、そこに行くためのカードが、これ?
そうならば。
それで、いい。
それも含めての、チャレンジだ。
今日の夕雲は疾走ってた