神仏は何のために人間界に姿を現すのか...見せる必要はないのに
ゆるふわだなあとか、お花畑だなあとか。
他人を見て、思うことがあるのだけど。
きっと、私も、他人から見たら十分に、お花畑の住人なんだろうなぁ。
ふわふわしたのが嫌い、と言って、ぶった斬ってることが多い友人もいるし。
ふわふわとか関係なしに、全方位に向かってぶっ放す準備をいつもしている、という人も知り合いにいる。
どっちかっていうと、私も彼・彼女らに近い領域にいる…のだけど。
でも、一方では、卵のカタチした石にナンかが宿る…みたいな話をサラッと、受け入れて(しかも自分でも「ここにはコレがいる」とか勝手に確信しちゃったりして)いたりして。
天使がどうとか、妖精がどうとかいう話も、別にサラッと、受け入れちゃったりして。
ふわふわスピ、とか、よく言うけど。
そして、私も昔、かなりキッツイ文体でそれをさんざんディスってきたんだけど。
結局、何がどう違うのか…なんて。
もっと外側にいる人達からは、全然、わからないだろうな、って。
思ったね。
そして、私自身にも。
一体、何が違うのか????
わからないね。
一つハッキリしてることは。
人間て、自分が気に入ってる人や気に入ってる場でされる教えや発言を、気に入る。
ってこと。
この人達を、すごく好きだ。
でも、あっちの人はなんか、イヤな感じがする。
だから、言ってることは同じようなことでも、あっちの人達の言ってることは、なんだか違うような気がする。
ヘタすると。
邪悪に感じるとかね。
境界線て、曖昧だなあと思う。
だからこそ、少なくとも、小ずるい、こざかしい言動は、しないに徹したい。
頼もうとしていることを、言い方を操作して相手の方から言わせる…とか。
思うようにコトが進まなかった時、言を弄して当事者の位置から逃げようとする…とか。
相手の好意や熱意につけこんで、都合よく動かそうとする…とか。
私は、見たから。
見えない世界の影響で(あるいは、そうだと思わせた何者かの影響で)手に負えないほどに人格変異を起こしてしまった若妻/娘を、心配して、一本の糸にすがって引っ張り起こそうとしている、必死に「願う」「祈る」しかない人達の顔を。
神仏は何のために人間界に姿を現すのか。
別に、見せる必要はないのに。
時折姿を見せたりするから。
余計に、必要のない人達までもが、それを見たくて、手に入れたくて。
利用したくて。
忘れる必要があるから忘れて生まれるなら、最後の瞬間まで思い出さないようにしておけばいいものを。
だんだん、慣れてきて。
楽に、制作を進められる確率も高くなってきて。
初期の頃のように、スケッチ一つ起こしただけでノックダウン…みたいなことも、なくなってきて。
それ故に。
安易さが、定型に逃れたくなる気持ちが、手先でどうにかできるような錯覚が。
どこかで、怠惰になっている。
そんな、気がする。
すごく久しぶりに参拝した神社がある。
近いところを絶えず、通っているのに。
立ち寄る、ということはずっとしてなかった。
私には、縁を強く感じる神社なのに。
今日、目的地とは逆方向だったけど、足を向けてみた。
白くて細長いもふもふの「ナニカ」は、なんか妙に興奮してた。
毛先が、パリパリいってた。
静電気みたい。
私はすごく静電気を溜めるので…だから寄って来たんだろうか………
すごく久しぶりに、最近、問うてなかった問いを、拝殿で問うてみた。
この神社では、よく、答えらしきものがやってくるので。
答えは返ってこなかったけれど。
白いもふもふが、飴みたいなものをもらって喜んでた。
まあ、いいか…。