墨と硯は二枚貝みたいなものなのかも知れない
丸いひとつの原石から作った硯を買った…というのを、前の記事に書いた。
墨と硯は、対の存在。
でも、私は今まで、美しいぼかしや美しい発色は、「墨の善し悪し」で決まってくるとばかり、思っていた。
もちろん、それは間違いじゃないだろう。
でも。
それだけじゃないんだ。
今回、天然那智黒石の硯を作っている職人さんから直に話を聞いてこなかったら。
それも、石の善し悪しだのいったことに偏った話しか、交わしてこなかったら。
実際に、硯が果たす役割というのを、知らずにこの先も、墨を使ってたかも知れない。
山口光峯堂さんで、過去に顧客となった方から送られてきた作品を拝見した。
淡墨の色が、実に美しかった。
柳城感もほとんどない。
硯が、墨を「そうなるべき色」を引き出すのだ…と。
えーと。
私は石のこと、よく知らないのですよ。
天然石とかも。
今回、「那智黒石の硯」についてだけは、少し、ここで知ることができて。
同じ「天然の那智黒石」で作った硯でも、「大きな塊から切り出した石」から作られた硯と、「玉になった丸い石一つから、ひとつだけ作られた」硯とは、全くの別モノなんだそうです。
そもそも、「丸い玉石」というのがもう、滅多に出てこないんですって。
ていうかさ。
大きな石の塊…
黒色で硬質の粘板岩、というのが、那智黒石。
岩板。
それが、「丸い玉状」になるためには、大きな塊が自然に流されて削れて磨かれていかないといけない…わけですよ。
小石サイズになっちゃった…ならわかるけど。
硯にできるくらいの大きさを留めてないと、いけないんだよね。
単に、採掘されてきたものっていうわけじゃない…のだよね。
水の力で磨かれてこないと。
実際に、硯に加工される前の丸石原石を見せてもらいましたが。
ほんとに、キレイに丸くなってて。
卵。
硯の卵。
その硯で摺られたからこそ出る色、というのがあるのだそうな。
実際に、その墨が使われた絵や書を見ると、淡墨の発色が驚く程良くて。
もちろん、それを書かれた方が使われている墨の質が良い、というのは、あると思うのだけど。
それにしても。
あの、摺る時の感触は。
こういうのは、実際に自分で体験しなければわからないことだった。
でも、私は他にまだ、探している硯がある。
石の種類や質ではなく、形状。
今まで、そのカタチの硯は、一点しか見たことがない。
持ち主の方は、買ったところはよく覚えていないけれど、中国に行った時に買ってきたような…と。
これだけ、見かけることがないところを見ると。
やっぱり、日本仕様ではないのだろう。
まあ、そっちは気長に探すとしよう。
それより、早くこの那智黒石硯の力を発揮した「発色」を、出せるようにならねば。
使い込んで硯がすり減ってきても、玉石から作った「曼荼羅の径」という名称を冠したものであれば、修理をしてもらえるのだそうだ。
すり減って変形するほどに使われれば、石も喜ぶだろうと思う。
ご主人は、「硯として使わなくても、さすってあげるだけでも十分」っておっしゃってたけど。
道具はやっぱり、使ってこそ。
そして、この硯に合う、いい墨とも出会いたいものだな…。