光が強いと、影も濃い。そのどちらにも呑まれぬために
その人が「どういうステージにいるか」とか「どういう有力者の人脈を持っているか」とか。
そんなことで相手を激烈に批判するっていうのは、それしか追求できるところを見つけられないからなんだろうか。
そこを批判している人自身が、そういうものでしか価値が計れない人だからだろうか。
一度は「この人はいい!」と思った人がいるとして。
ただ、時間は止まることなく、流れているので。
その流れに、生き物社会全て、乗っているので。
しかも、個人個人の流れは全て、違うので。
最初の接点、というのは、瞬足で過ぎ去ったものとなるわけだ。
近づいたり、離れたり。
反発しあったり。
別の流れの影響で、当人同士の意志とは関係なく、関係が近づいたり遠ざかったりもする。
刻々と、互いに変わっていく。
よい印象だったものが、そのうち、最悪に変わることがあるかも知れない。
逆も、もちろん、あるだろう。
そういう変化は、避けられないことだ。
どちらが悪いという話ではない場合が多いんじゃないだろうか。
その人を見極めるには、周囲にいる人達を見ればいい…と。
それは、私は、「ある一面」真実だと思う。
ただ、その解釈というのも、様々で。
資産だの人脈だのステイタスだの…というところを切り取って見る人もいれば。
可能性とか意外性とかを切り取って見る人もいるし。
どの軸をもって「周囲の人達を見る」をするか…というのすらも、個人個人の価値観で違ってくる。
恨みを持った批判と、可能性を見ての批判は、全く違うものだ。
そして、光を強く放つ人は、落とす影も濃いのだ。
自分は、自分の影に呑まれないでいたい。
誰かに強烈な怒りを感じる時があっても。
己の影に食われるようなことには、ならないように。
そういうコントロールは、失いたくない。
強い光を放つ人に近づいた時。
その、濃い影に、引き込まれないよう。
相手の落とす影を相殺するほどの光を…あるいは影を。
自分も、発していけるよう。