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緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

短い文章での語りでも話を深めることはできる…という話

抽象度が高いこととか、少しひねって考えたいこととか。

人と書き言葉で会話する場合に、ついつい、文章が長くなりがちだ。

 

時々、コメント欄に1000文字以上あろうかというような長文を書き込んでいる人とかも、見かけるけれど。

程度の差こそあれ、どうしても、一回分の文章量は多くなりがち。

 

ところが。

144文字しか一回に書くことができないところで。

2,3回の交換で、意外な深さの話が成立することが、ある。

 

この場合、「意外に深かったな」と後で感じるのは私であり。

相手の方にとってどうだったのか…というのは、あまり考えてない。

 

仮に、私が受け取ったのが、ほんの2、3行しかない一見軽い文面だったとしても。

それを見て、私自身の「元ネタ」になった思考が、元ネタよりも深かったり、広かったり、大きかったり、遠かったり…とにかく、広がりがあるところに焦点があたるきかっけになればいい。

 

144文字のやりとりは、案外、そういうケースに至ることが多い。

 

Twitterの投稿は、このブログにはボタン1つで貼ることができる。

だから、ネタ投稿をしておく頻度が高い。

144文字に納めるために、ブツ切りにして何回かで投稿することもあるけど。

その「切れ目」を、思考の切れ目とか、発想の切れ目とかに合わせるようにしていくと、案外自分の中での整理もつきやすくて、便利なのだ。

 

 

 

長すぎる文章は、頭に入ってきにくい。

私も最近、あんまり長い記事は読む気が失せる感覚があって。

(自分がそういうのを書く側だ、というのは、この際、無視)

 

短い文章でもそれなりの「発想の広がり」「思考の深まり」のタネがあるようなものがいいな、と思っている。

 

そういう意味でも、144文字の制限というのは、案外、悪くない。

 

流れ放題で、すぐに忘れられる…というのも。

意外にポイントが高いものだ(笑)

 

 

ブログの文章も、できるだけ、短いけど深いとか、広がりがあるとか、そんな風にしていけたらいいな…なんて。

思っている。

 

 

 

まあ…

144文字も費やさなくても、たった一つ、呼吸だけで伝えられる時もあるし。

文字というものには限界がある…とも、常に思うのだけれどね。

 

 

 

文字の数
費やし語り
操れど
呼吸ひとつの
無言に敵わぬ

 

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