旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

「卒業」という言葉の使い方に思う

何かをやめることや、コミュニティから抜けることなどを、「卒業」と表現するケースによく出会う。

アイドルがグループから脱退することをそう言うようになったあたりから、頻繁に使われるようになった気がする。

 

なんでも、卒業。

 

わたし、●●をやめます

 

というのではなく、

 

わたし、●●を卒業します

 

って、言う。

 

 

まあ、いいんだけどさ。

なんか、その言葉を使うことで、微妙に、本質をぼやかしているんじゃないのかね。

 

 

 

縁を切る。

場を離れる。

それまで密接に関わっていた何かを、やめる。

 

その中には、かならずしもプラスではない人、コトや場から離れるケースもある。

断腸の思い…という場合もある。

己の失態が理由での、余儀なく出て行かざるを得ない脱退も、ある。

 

それらを、ふわっと、なんとなく美化してしまうのが、「卒業」という表現へのすり替え。

そんなすり替えをして、何を守ってる?

 

 

単に、人の投稿を見る時間を減らす、っていうだけのことを、卒業するって言ってるのも見かけた。

自分から参加してたコミュニティを抜ける時も、卒業するって宣言しているのをよく見る。

 

それ、卒業なの?

なんか、使い方、違ってない?

 

どうして、ストレートに、「やめる」って言えないのかな、って。

よく、思うんだ。

 

やめる、という言葉にともなう「決断」を、感じなくしてるよね。

 

または。

 

やめるしかなくなった、という、自分が招いたマイナスを、ふわっとごまかすのにも、便利だよね。

 

「ふわっと」「ごまかす」「美化」を、この短い文中に複数回書いたよ。

わざとね。

 

そういう細かい表現のすり替えから、なし崩しが始まるんじゃないかな。


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