「卒業」という言葉の使い方に思う
何かをやめることや、コミュニティから抜けることなどを、「卒業」と表現するケースによく出会う。
アイドルがグループから脱退することをそう言うようになったあたりから、頻繁に使われるようになった気がする。
なんでも、卒業。
わたし、●●をやめます
というのではなく、
わたし、●●を卒業します
って、言う。
まあ、いいんだけどさ。
なんか、その言葉を使うことで、微妙に、本質をぼやかしているんじゃないのかね。
縁を切る。
場を離れる。
それまで密接に関わっていた何かを、やめる。
その中には、かならずしもプラスではない人、コトや場から離れるケースもある。
断腸の思い…という場合もある。
己の失態が理由での、余儀なく出て行かざるを得ない脱退も、ある。
それらを、ふわっと、なんとなく美化してしまうのが、「卒業」という表現へのすり替え。
そんなすり替えをして、何を守ってる?
単に、人の投稿を見る時間を減らす、っていうだけのことを、卒業するって言ってるのも見かけた。
自分から参加してたコミュニティを抜ける時も、卒業するって宣言しているのをよく見る。
それ、卒業なの?
なんか、使い方、違ってない?
どうして、ストレートに、「やめる」って言えないのかな、って。
よく、思うんだ。
やめる、という言葉にともなう「決断」を、感じなくしてるよね。
または。
やめるしかなくなった、という、自分が招いたマイナスを、ふわっとごまかすのにも、便利だよね。
「ふわっと」「ごまかす」「美化」を、この短い文中に複数回書いたよ。
わざとね。
そういう細かい表現のすり替えから、なし崩しが始まるんじゃないかな。