積極的介入→瓦解加速 あるいは 静観→自然消滅 とるのはどっち?
誰を擁護し、誰を非難する…ということじゃなく。
起きていることを見て、単に「自分はどうしたいか」「これから、どうしていきたいか」考えて、対応を決めていく。
それだけでいいじゃん。
自分は誰の味方だ、自分の誰は敵か。
あの人の味方は誰で、敵は誰か。
そんな二択は、疲れるだけだし。
そもそも、どの面を、どの立場で見るかによって、モノゴトは全く違う姿になる。
もっともらしい面だけ見たって仕方ないし。
裏の面ばっかりほじくったって、これもまた、仕方ない。
要は、「自分は、その人と、どう関わっていきたいのか」ということだし。
万が一、その人が「実は無体なこともしてる」とわかったなら、自分もその対象になる可能性を含みつつ、考えていればいいことだ。
こいつはもう我慢できん、という人に自ら「もう来るな」と言い、その後に自分からその「守ろうとしてたはずの場」を出て行く(または場を消す)と決める…そういうことが人生上でしばしば訪れる人間と、ずっと起こらないままで終われる人。両者にはオーバーに言えば人種の違いがある。私は前者。
— 異界絵師 緋呂@神と龍と魂を描く人 (@HIRO_eshi) December 8, 2016
こういうのを、「大人げないことはやめるべきだ」とか「そんなことを表に出すのは損だ」とか、言われることもよくあるけれど。
自分が好きで大事にした場に、害をもたらす(可能性が大きい)人が紛れ込んでいたら。
それを黙認して、害が実際に広がるに任せ、事後対処する…と。
そんなことは、できない。
「ちょっと顔貸しな」とやらかして。
けれど、ほどなくして、自分すらその場に留まる理由を見失ってしまう。
だから、出て行く。
または、場を解消してしまう。
それは確かに不毛な行為と言えるかも知れないけれど。
じゃあ、瓦解するのが目に見えてきている時に、何もしないでいるのか。
自分が瓦解させた原因にならなければ、放置でいいのか。
後になってそこから自分も去ることになったとしても。
それは、結果論で。
害が広がることをスルーした結果、場が消え去った…なんてことになるくらいなら。
何か手を下して、やってみて、それでもダメだった…という方がいい。
自分がやってみたことが、かえって事態を悪化させたのだとしても。
…と、私は、考える。
黙っていても、その場は崩れていくだろう。
だったら、何もせず、静観して、頃合いになるまではいい気分でそこにいればいい。
そう考える人も、いるだろうし。
別に、それでもいいと思う。
ただ、私はそういう風には考えられない…ということでしかない。
だから。
全体から見れば、私みたいなタイプの方がよっぽど、「害のある人間」なのかも知れない。
黙っていれば、自然に、ゆるやかに動いていき、そのまま平穏に消えていくハズだったのに…と。
それを、急激に、暴力的に、動かして。
その負荷のために、事態の破壊度は高くなった…なんて。
そんなことも、たくさん、起きていたはず。
だから、きっと、私のようなタイプが、危険分子と見なされる方が、自然なんだろう。
あれだ。
地球に向かって飛んでくる隕石みたいなもの。
でも、それがわかったからって。
やめられるわけじゃない。
また、次に似たような状況になったら、やっぱり、「ちょっと顔貸せ」って、やるだろう。
いつか。
自分が、呼び出される側になることも、もちろん、あるだろうけれど。
(まあ、実際呼び出される側になったことはあるしね)