型 「まず棄てること」
日本神道では、「型」を最重要視する。
細かい所作の一つ一つが決まっていて、その継続で流れができている。
その理由を、先日、聞いた。
「言葉は、個人個人で少しずつ異なる定義や使い方になり、言葉に頼ればズレていくから」
なるほど…確かにそうだ。
「型を破る」ってことを望み、それを求め続ける人…というのが多いのだけど。
そもそも、自分に型があるのか?というところは、あまり考えてない気がする。
型ができてないのに、それを破るって、もはや意味不明。
けれど、型破りでありたいと思っている人の多くは、自分に型がないこともわかってないんじゃないだろうか。
私には、様々な「クセ」がある。
やり方も、考え方も。
けれど、まだ、「型」の域にまでなったものは無い。
それなりの、自分的定石と言えそうなものはいくつかあるとしても。
型とまでは言えないと思ってる。
そして、「クセ」というのは、無意識的に習慣になっていることでしかないので。
安定して使う、という種類のものではない。
私は頭が固い方なので。
(なんか、今、あちこちで「は?」っていう顔されたんじゃないかと思うけど、砲台が各所に点在しているだけで、柔軟性とは関係ありません)
クセをクセではないものにするとか。
そもそも、それ自体を薄める(個性を薄めるという意味ではない)とか。
なかなか、できないのだなー。
難しく考えてはいないけど。
というか、難しく考えるってできないし。
とりあえず、数稽古というのが絶対的に足りてないところもあるからな。
なーんて。
考えてたら、こんな言葉をいただきました。
「型」を創るには、
まず棄てることです。
自分の型を創りたい、っていうみなさん。
ご自身にとっては、この言葉への「応え」、どうします?