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緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

負けたら終わり…じゃなくて、やめたら終わりなんだよ

いざ、「よし、やるぞ!」っていう段階になると、必ず、引き留めようとする力も動き出す。

 

そして、前に進もうとする限り、引き戻そうとする力は、働き続ける。

 

外野の批判や中傷は、きっと誰もが、ある程度は無視できるだろう。

気にはなるけど、見ないようにすることで無視できるようにも、なるだろう。

 

やっかいなのは、直接の知り合いから働く、引き戻しだ。

 

 

私は14年強のブランクの後、絵描きに戻って来た。

一度は、自分には無理な道だと思って、それほどの苦もなく捨てた道。

戻ることはもうない、と、自然に思っていた。

 

だから、舞い戻ることにした時、自分自身の中でも、引き留める力はかなり強力に働いていた。

 

こんなヘタくそ、誰も見ないし、どこからも必要とされないし、いまさら何を期待して戻ろうなんて?

やめとけやめとけ、アホらしい。

 

けれど、その声をできるだけ無視して、いいと言ってくれる貴重な声だけ拾うようにして、どうにか、戻って来た。

 

 

近いところに、応援してくれる友人もいた。

一緒に描くことが楽しいと思える人もいた。

 

その頃は天使の時代だったし、そもそも絵の再出発は「ヒーリングのレポートがどうにも苦手だったので、絵をつけることにした」というところから。

あまりやってる人がいなかったのか、天使の絵は、歓迎された。

 

外へ向けて描くようになったことを、友人たちも喜んでくれた。

オマケで描いていたうちは。

そして、すごく安値だったうちは。

 

ヒーリングをやめて、絵だけメニューに残して、実際にそれをスタートさせた時。

私の絵の値段は、1枚2000円だった。

 

それを、3000円にしようとした時。

それまで応援してくれていた友人達が、引き留めにかかった。

 

「お金を介在させることで、絵のエネルギーが変質する」

 

要は、キレイでなくなる、という理屈だ。

 

絵のスキルは認める、仕上がりも認める。

でも値上げは認めない。

 

まあ、今考えたらおかしな理屈なのだが。

その頃は、私はまだ自分の中の引き留め工作すら、努力して無視していないとならない状況にあったので、スルーどころか、まとも以上に受け取ってしまった。

 

たった1000円の値上げ。

それが、「友人」と私が捉えていた人達から、引き留め力を引き出した。

 

その友人達との交流は、当時の私にとってはすごく重要なものだったので。

その人達との価値観、世界観の共有というのは、自分の未来や自分の進む道が灰汁のように感じられる程大事に思えていたので。

 

応援が得られないどころか、「あなたには値上げする資格などない」と言われたも同然の反応は、やっぱりこの道は無理だ、と断念するまでに足るものだった。

 

その頃、ある人と会う機会を控えていて。

相談できるような相手ではなかったけれど、私が絵の道に戻って動きだそうとしていることは知っている人だったので。

そして、周囲にいたその友人達のことも知っていて、面識もある人だったので。

 

私は、その人には状況を知ってもらうべきだと考えて、会うとき渡そうと思って手紙を書いた。

 

その日は、手紙を渡そうとしていた人のトークライブイベントの日で。

午後からは、ちょっとしたお絵描きを交えた講座の日。

 

午前中、その人が段上で相方と話をした、その内容は、

「自分の手でできることを、人に提供して、対価にお金を受け取る…つまり商売する。それって、とても素晴らしいこと」

というものだった。

 

話題は、その場で思いついたものを喋る、という人達。

話は、自分の状況とあまりにも符号して、そして「ああ、できることでお金をもらうって、いいな」と思えるものだった。

 

昼休みに、他の人達が談笑しているところから離れて、一人で近くの店に行き。

持っていたスケッチブックに、改めて「話を聞いて、考えが変わって来た」旨を書いた。

家から持ってきた手紙を捨てようか、迷ったが。

ほんの2時間ほど前までの私の状態を知っておいてもらったほうが、トークの中身がいかに響くものだったか伝わりやすいかも…と思った。

もうちょっとがんばってみる、と新しく書いたものと、もうやめる、と書いた昨夜の手紙。

それを、手紙を「ついでに」渡すべく持参したお土産の袋に、一緒に入れた。

 

午後の講座は、気分が逆転していたおかげで、非常に楽しかった。

その最後に、著書にサインをもらう列にならんで。

そのためにわざと書店で買わずにおいた本をそこで買って、お土産を…というか手紙を、渡した。

 

反応があるとは、全く、思っていなかった。

そんな間柄の人ではないし。

そもそも、いつも大勢の人を相手に忙しくしている人だから、ほんの1,2度会ったことがあるだけの私に対して時間を割くなど、全く期待していない。

 

が、メールで返事がきた。

 

絶対に、やめたらだめだ。

 

それを伝えるための、長いメールだった。

 

もちろん、やめさせようとした友人達のことになど、一言も触れていない。

ただ、その人自身が置かれている状況と、そこから感じることが、書かれていた。

 

そして、

「続けるための戦いを辞めず、その手を使い切ってください。」

 

 と、書かれていた。

 

 

人からもらった返信で、あんなに泣いたことは、今のところこれが最初で、最後。

 

 以後、私は、やめるという道を選択肢に入れたことはない。

今後も、ない予定。

 

 

 

 

やめる、というのは、己の道を殺すことだ。

 

認められたり評価を受けたり、ということがなければ、食えるようにはならない。

だから、そこまで高めるには、それ相応の戦いが待っている。

 

だけどね。

そもそも、やめたら、そこに繋がっていく可能性も、ない。

 

残念ながら、あなたが自分のしたいことをやめたところで、社会には何の影響もない。

地球は相変わらず回っていくし、時間は進んでいく。

あなたがしようと思っていたことを、誰か別の人がやるだろう。

ただ、それだけのことでしかない。

 

けれど。

あなたの「そこに繋がっていたはずの未来」は、やめた瞬間に、死ぬ。

 

 

食えるようになるかどうか…などは、やるという前提のもとに成り立つことであって。

やめてしまえば、全ては消えるんだよ。

 

 

 

私に返信をくれた人は、今もう表舞台からは引いて、自分の役割を日々、全うしている。

その代わりに、アプローチは違えど、示している方向は同じ…という、かさこさんの記事を貼っておく。 

 

kasakoblog.exblog.jp

 

 

やめたら、終わりだ。

 

負けたら終わりじゃなくて、やめたら、終わりなんだよ。

 

 

 

がんばれ。

 

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