神仏は見てるだけ。動くのはあなた自身以外にいません
問題解決したいのなら、動くしかない。
自分が動くのか、適切な人に動いてもらうよう動くか…の、どちらか。
問題を解決したい時に、神社仏閣に行くのはナンセンス。
いくらお賽銭入れようが、お布施しようが、ご祈祷受けようが、正式参拝しようが、解決などしない。
時には、その行為の過程で、糸口を掴む…というラッキーに恵まれるかも知れないけれど。
希なことで、基本、無いと思え。
第一、糸口をつかむ、という結果を得るためには、その前に動いていないと始まらない。
ああなったらいいな…と、思ってるだけではダメ。
どれほど信心深かろうが、なんかアヤシイ力があろうが、ダメなもんはダメ。
やることをやって。
神頼みは、その後。
やる前に行く神頼みは、決意表明であり、これから行うコトの加護を願うだけ。
そして、加護は、神前で願うだけ願ったら、すみやかに忘れること。
加護を期待して動きが滞れば、結果は惨敗が待ってるだけ。
間違っても、高額なお賽銭やお布施をして熱心に祈祷すれば全て解決する…なんて思っちゃいけない。
神は見てるよ。
あなたが、どうやって、それを解決していくのか、その行程を全部、見ている。
そして。
見てるだけ。
やるのは、あなた自身。
動くのは、あなた自身。
人を頼るとしても、頼るという行動をするのは、あなた自身。