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緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

歯車が噛み合ってきたので、見えない世界との「繋ぎ」の話続き

★見えないセカイ

私の行動は、ほぼ全てが、ある一つの目的に焦点が揃っています。

ああ…日がな家でゴロゴログタグタしているとか、漫喫に籠もってるとか、そういうのは別ですよ(笑)

よい作品を作りたい、実績を残したい…などの、表に向かって行く動きのことを指しています。

 

人によって、いろんな目的があると思います。

それは、必ずしも、社会的に認められるとか、大きな利益を上げるとかいったことだけではないはずです。

本当に、自分一人だけのための、それも他人には理解されない類いのことが目的だったとしても、別に構わないと思います。

ナンというか…錦の御旗のごとく誰にでもわかりやすい「掲げて見栄えのする」ことばかりが、人生の目的じゃあありません。

 

私の目的も、公言はせずに自分だけわかってればいい…という類いのもの。

 

その目的が失われる(私の場合は、達成するとかいう性質の目的ではないのです)か、私の寿命が尽きるか、どっちが先かな…というようなものでして。

目的が失われるのが先に来たら…その時、私のその後の行動は、一体どうなるのかな…なんて、たまに考えます。

 

たぶん、そんな頃には、失われた目的の延長線上に繋がって何かができているのではないかな。

 

寿命が先に来たら、それはある意味「めでたしめでたし」です。

 

 

ある時。

その目的…というか、それそのものが私の道を支える骨格のようなものですらあるのですけども。

それに沿って考えるならば、私自身が見えない世界に反抗してても、全く意味がないことだ…と、すとんと腹に落ちてきた時がありまして。

 

神を描くとか、そういうことについては、もっと早い段階でバンザイして、反抗する気はもうなくなっていたのですけれど。

それ以外のことについては、どうにも、反射的に拒否しちゃいたくなるような面が、なかなか抜けなかったんですよねえ。

 

いろいろ先回りされるし。

どんどん、外堀を埋めて行かれるし。

イヤでも選ぶしかないような状況に追い込まれるとか。

 

まーほんと。

アンタら本気でロクなもんじゃねえ…と、いつも思ってました。

 

まあ、あれです。

中坊の反抗期みたいなもんね(笑)

やってて自分でもわかっているんですけども、どうにも受け入れられない…という。

長かったなあ~。

 

けれど、その、「この目的に沿うため、と思ったら、見えない世界のやることを拒否する意味がない。むしろ逆に、もらえるものはどんだけでももらっておかないと」と、サクッと思えた時。

いろんな符牒にはやっぱりちょっとイラッとしちゃうけれど、それでも、蹴り飛ばしたくなるとか…そんなことは、なくなりました。

 

たぶん、「なんのこっちゃ」だと思うよ。

うん。

通じる人もいることは知っているので、それでいいや…という気分で書くわけです。

 

 

 

そして。

その反抗的気分が抜けて以来…劇的に、変わって来たことがあります。

 

見えない世界との「繋ぎ」の話に、また、なりますけども。

もうね。

びっくりするくらいに、反応や結果が、矢継ぎ早に出るようになりました。

 

受け取りそこねがいっぱいある…とは聞いたけれど。

その何割かは、私のその反抗的気分が、自ら拒否してたところもあります。

 

 

大きな目的をしっかり、見る。

ただ、大事の前の小事で、「犠牲」にするモノゴトが増えるのは、それは、よくない。

私は、そういう風になりがちな傾向があるので。

そこは、意識的に気をつけていないといけないところです。

私の「目的」に沿っていこうとすれば、「犠牲」は、NG項目ですから。

優先度、という問題はあるとしても、犠牲を出してはいけない。

 

そうやって見ていくとね。

人間関係が、意図せずにこじれて、距離を変えざるをえない…とか。

やりたいと思ってたことでも、優先度を低くつけていくことになる項目も出てくる…とか。

そういうのが、すごい些末なことに思えてくるわけです。

 

それこそ、自分が人から嫌われるとか。

悪口言われるかも…とか。

批判されるかな…とか。

受け入れられないかも…とか。

そういった発想は、どうでもよくなる。

 

 

今までは、どちらかというと。

見えない世界の仕組みを「知りたい」という欲求は強くても、それを「使う」とか「そこから得る」という考え方は、嫌ってきました。

おかげで、アチラが用意してくれてるご褒美なんかも、拒否したりね。

 

また、動かす仕組みを知らないのに、それを利用しようとする、ということに、ものすごい抵抗があったんだよね。

そして、その「知っている、と認識できる」レベルというのが、すごく高い。

 

たとえるなら、九九は暗唱できてるけれど、九十九の段まではできないから、そんなのは知ってるとみなさない…っていうくらいの話。

…だったと思う。

 

 

でも、私は九九は知ってるから、使うわけです。

暗算できなければ、電卓という便利なモノがある。

それを使うことには躊躇はない。

分解して組み立てるようなことはできないし、中身がどうなってるのかもよく知らないけど、使う。

Excelでチャチャッと集計も、やります。

マクロなんか知らないけど、関数だってsamしか使わないけど(笑)

それでも、連番を入力する小技とか、知ってることを使って、便利に活かす。

 

車、運転する。

エンジンの仕組みとか、コンピュータ化がどうなってるか…とか、知らないけど。

気にせず、運転して、あちこちに行く。

事故を起こさないように、人も車も傷つけないように。

燃料を切らさない、オイル交換や空気圧チェックを適切にする。

そうやって、維持しながら、便利に乗る。

 

見えない世界との関係も、私の骨格である「目的」に沿って動くのであれば、使えるところはもっと積極的に使えばいいのじゃないか?

 

そんな風に、思うようになったわけですよ。

 

そこまで来るのに、どんだけ長くかかったか。

どこまで意地っ張りなんだろうかと、笑っちゃいますが。

 

 

そんな心持ちになった後の動きは、びっくりすることばかりです。

 

信じる信じないとか、正しい間違ってるとか、そんな問題じゃない。

 

きちんと作られていれば、蛇口をひねれば水は出る。

水が出ない時は、どこかに原因がある。

 

そういう、単純な話。

 

 

見えない世界に関わることでは、私ってなんか、特殊な立ち位置にいるらしいので。

他の人のことは、他の世界のことは、わかりません。

自分のことで、わかっていることしか、わかりません。

 

 

わかっていることって、一つ増えると、同時に「わからないこと」も増えていく。

だから、いつでも、何もわかってないも同然。

けれど、だからって、全部わかるまで動けない…なんて言ってたら、一生動けないしね。

わからないなりにやってみないと、わかるものも、わからない。

わからないけど、使えることがあるのなら、使えばいい。

だって、目的があるのだから。

至上の目的がね。

そのために邪魔になることや、足を引っ張ることが起きたなら。

斬り捨てるよ。

「一線を引く」という王道手段で。

 

 

そういう変化が、「効果」として見えるようになったのが、こうした現実なんだと思います。

 

art-hiro-b.hatenablog.jp

 

この記事の後、2年間動きがなかった作品の一つに、突然買い手がついたりもしました。

問い合わせも来たりしてます。

 

高度を維持することには注意しなきゃね。

 

 

そして、この話は、これで終わりです。

これ以上は、語れる範囲を超えますので。

 

 

鬼ちゃんずは、元気に働いてくれてます。

龍は、キャラ化へもうあと少し。

 

 


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