旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

「できる自分」になろうとするな

しっかりしてる、とか。

自分の意見がある、とか。

軸がある、とか。

地に足がついてる、とか。

 

なんか、その手の表現で自分を見ていて。

それがゆえに、自分の枠が狭く、狭く、狭く…なっているんだとしたら…さ。

 

そんなの、いらないよ。

 

しっかりしてなくてもいいし、意見なくてもいいし、軸なくてもいいし、地に足ついてなくてもいい。

 

なにもなくていい。

 

それよりも、思ったことを、思った瞬間に「ああ、こんな事言ったら(やったら)、こういうこと言われるんだろうな」って思って、それが手枷足枷になる…と。

そんな風に自分を縛るネタになる方が、よっぽど、バカらしい。

 

言いたい人は何やったって、何言ったって、悪く言うもんだ。

悪く言うためのネタを探しているんだから。

そんなのにつきあってるより、自分が思うことを思うようにやった方がいいに決まってる。

 

仮にそれが失敗に終わったり、痛い目見ることにつながったりしても。

「この道はNGだった」とか「このやり方はうまくない」とかいう事例が自分の中にできていくだけプラスになる。

 

世間的に、ヨシとされること。

 

そんなものに自分を合わせて、縛り付けていても、不満が出るし自信も生まれないし。

 

ちょっとズレたことをやったらイチイチ揚げ足取りにくるような人間関係、そんなのに浸ってる意味がないよ。

 

そんなのに浸ってなきゃいられないほど、一人が怖いってのは、そっちの方が問題だ。

 

気に入らないことをしてないか見張ってる…そんな人達の中にずっといて、何か言われるのを恐れて、そいつらがチクチク言わないように言動を合わせて。

それで、自分に何が残るんだ?

 

そいつらは、誰も、最後まで見ててなんか、くれないよ。

というか、そもそも、見てなんかいないよ。

ただ、あら探ししているだけ。

そうやって、自分は正しいとか、オマエと違うとか、思っていたいっていうだけ。

自分を上げるための材料が欲しいだけ。

 

そんな枠はぶっ壊してしまえ。

 

そんなことのために、「できる自分」になろうとするな。

 

 


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