旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

「ゴジラ」→「日本沈没」または「復活の日」 たぶん今はきわどいところ

昨日見たばかりの「シン・ゴジラ」のことを記事に書いた。

ネタバレ嫌いな人は読んじゃダメ! 折り紙とアメノハバキリと、スクラップ&ビルド 「シン・ゴジラ」

 

で。

今日のこの記事は、映画レビューではない。

映画に触れるところもあるけれど、それとは違う話です。

けれど、ネタバレ要素も含むので、ネタバレが嫌いな人は、読まない方がいいでしょう。

私は、自分がネタバレ全然OKな人間なので、あまり配慮しようとも思いません。

 

 

 


 

ゴジラは、東京湾に突如現れて、河川を遡上し、陸地へ上がってきた。

そして、そのまま、邁進する。

途中、高層ビルにぶつかったら、無理矢理よじ登って、乗り越える。

彼?にとっては、人家だろうが線路だろうがビルだろうが、単に「そこにある何か」でしかない。

 

そう。

単に、ルート上にあるものを踏みつけているだけ。

 

なんのために移動しているのか、人間からは全然、わからないけれど。

彼?には彼の理由がある。

そのことは、彼が知っていればいいこと。

 

冷却のために一旦、海中へ戻った後、形態とサイズを変えて…というか、育って、再び上陸してくる。

 

それほど、上陸する理由がある、ということ。

彼?なりの、理由が。

(単に、上がってみたかった、ってのでも、立派な理由)

(というか、行動に理由が必要であるという定義そのものが、人間の勝手な作り事にすぎない)

 

 

邁進する。

自衛隊や米軍に邪魔されなければ、真っ直ぐに進んだだろう。

 

単純に、日本を横断して日本海側へ抜けるというだけだったのかも知れない。

 

攻撃する意志もなかったように見えた。

攻撃されたから反撃した、というだけ。

人間が、刺しに来る蜂に殺虫剤ぶっかけるのと、なんら、違いはない。

 

 

人間は、自分たちの利益と安全のためになら、どんなものでも駆逐しようとする。

時には共存を探ることもあるけれど。

それは、あくまでも、自分たちの種族が優位でいられる前提があっての話。

…だったと思う。

今までの、この人類の歴史を見れば。

結局、自分たちが己の足元に踏みつけておけるものでない限りは、積極的に共存を図ろうとはしない。

 

我々は、そういう種族だ。

 

 

ゴジラは強すぎて。

大きすぎて。

そして、今回の映画の設定では「史上最強で、史上最高に進化した生体」で。

今は一個体だけど、今後もそうかはわからない…という、どんな可能性も考えられる生命体で。

どんな姿に形態変化をしていくかも、今はまったくわからない。

 

人類のアドバンテージは、数。

智恵。

発明。

技術。

協働。

 

まるで。

巨大な象でも倒すという蟻の群れのような。

 

人類とは。

一体、どういう存在なんだろうか。

 

 

ゴジラが、人類を凌駕する知能を備えていないとは、誰にもわからない。

今の生物から類推されるスタイルでの「知能」なのかどうかも、わからない。

 

 

 

あれは。

果たして。

 

虚構(フィクション)なんだろうか。

 

 

その誕生に、人類が手を貸した。

放射性廃棄物の海底投棄というカタチで。

 

現在。

それは、日常的に続いているではないか。

 

あの荒ぶる神は、今この瞬間にも、本当に、生まれているかも知れないし。

すでに生まれたかも知れないし。

 

 

妻を焼き滅ぼした我が子を斬り捨てた祖神イザナギは、その行為で、多くの神を産んだ。

神は、どんな行為でも、何かを産む。

神はすべて、是…というのは、とあるコミックのセリフだけど。

そうだと私も思っている。

 

 

人間は、その一人一人の中に、神を内包する存在。

人間以外の生物も、しかり。

生き物でなくても、この世界に存在するモノは、すべて、神を内包する。

 

是 である。

 

生き延びようとすることも。

そのために、脅威を駆逐しようとすることも。

人類最高の勝機は、種族の協働だ。

 

今回の「シン・ゴジラ」では、人類そのものの脅威を駆逐すべく、世界が(打算はあるとしても)協働した。

日本はデータを独占も隠匿もせず、世界にばらまいて、それが功を奏した。

 

 

今のこの世界で、人類の最大の脅威は、同族だ。

 

作中に、「危機的状況とは、日本ですらも進化させるものなのか」というような、米国人(だったと思う)の呟きが出てきた。

 

今の日本は、どうだろう。

足を引っ張り合って、馬鹿げた争いばかり繰り返してる、今の日本は?

 

忽然と何か恐ろしいものが沸いて出て、理由も目的もわからないまま破壊しながら驀進する。

そんな光景を現実に見せられるに至る前に。

 

 

どの世界の神話でも、親殺し・配偶者殺し・子殺しが描かれる。

創世神話がそこから始まるというのも、珍しいことじゃない。

 

日本の神様も、もちろん。

創世神話こそ平和的に展開する日本の神様だけど、以後はなかなかに、凄まじい。

 

種族の交代というのは、とどのつまり。

覇権争いに勝った種族が、負けた種族を滅ぼすということだ。

 

それが、自然淘汰で。

種族を越えたところで働く、宇宙の流れの一つ。

 

 

ゴジラ」→「日本沈没」または「復活の日

という流れが、いつ現実に起こってもおかしくない。

そんな世界に、今、生きている。

 

※「日本沈没」は、草なぎ剛柴崎コウの新しい方じゃなくて、藤岡弘の古い方限定。

 新しいのは、私の中ではなかったことになっている。

 (あれは、役者が悪いわけではない…と思っている)

 

 

映画『シン・ゴジラ』公式サイト

日本沈没 - Wikipedia

 復活の日 - Wikipedia

 

 

思いつくまんまにツラツラ書いたけど、こういうモノは推敲して整えるような種類のモノではないと思う。

何の意味があるのかもわからないし、誰に役立つものでもないし。

自分の妄想を、文字に刻んでいる…という以上のことではない。

 

 

柏手二拍

 


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