受け取ることが最大のすべきこと グズグズと自分卑下が止まらない人へ
とにかく、クチを開けば「私なんかが」とか「何も動けてないから」とか「迷惑かかるといけないし」とか。
やめろっての。
相手が、そんなの気にしなくていいから、って言ってるのに。
でも、だって、やっぱりそんなの…と。
もう、やめろって。
ホント。
本気で、やめろって。
気を遣ってるつもりかも知れないけど。
使うところ、違うから。
こんな自分じゃ、そこまでしてもらえない…
とか、そんなこと言ってたら、一生かかっても「受け取れる自分」になんか、ならんわ。
だって、自分から、そうなれないように己をコントロールしているんだから。
なるわけないわ。
そういうのが、あんまり過剰だと、余計にウザイから。
受け取って欲しくて差し出してる、相手のその思いを無碍にするのも、たいがいにしろっての。
もらうもんは、もらっとけ。
素直に、もらえ。
やってくれると言ってることは、やってもらえ。
素直に、やってもらっとけ。
会いに行きたいなら、行け。
ごちゃごちゃ言い訳してんじゃねえ。
いつまで、その堂々巡りを繰り返す?
永久に、「もっと自分ができるようになったら」なんて、そんな日は来ないよ。
だって、「今できること」すら、してないんだからさ。
今できることは、「はい、どうぞ」と言ってる人が差し出してくれてるものを、四の五の言わずにもらうことだ。
こんな自分が…とか、関係ない。
それは、その人がキミに取っておいてもらいたいと願っている、キミのための種なんだから。
育てるのは自分なんだから。
それは、自分しかできない、自分だけの役目なんだから。
その人は、種を渡すことまでしか、どうやったって、できないんだから。
千年の時を超えて発芽した古代のハスのように、いつ芽吹くかなんかわからないけど、そんなの構わない。
その種を受け取ることが、今、キミができる最大のことで、最大の感謝を示す手段だ。