マイルストーン的役割の作品展 初日前夜に書いた記事を今公開
これを書いているのは、4人展の前夜である。
いろんなことを、考えながら、スタート前の気分をメモしておく。
この展示会は、様々な意味で、私の「一区切り」となるイベントだと思う。
あかり玉を、あかり玉として展示する初の作品展だし。
それに、たぶん、こういうスタイルで他の誰かと合同展をやるのは、当分ないだろう。
もしかしたら、これが最後になるかも知れない…という気もする。
この展示会を企画したのは、昨年の終盤のこと。
具体的になったのは年が明けてからだ。
だが、そこからの数ヶ月のうちに、私の中の様々な事柄が変化した。
大きかったのは、「異界絵師道案内」と銘打ったセルフマガジンを作ったことだ。
あの過程で起こった様々な出来事や、考え抜いて結論を出してきたことが、いかに大きなものだったか…というのを、今更のように感じている。
初回印刷800部が届いた時の画像。
これを作るのと前後して、「異界絵師」という肩書きについても、熟考した。
私が思う神や仏や龍の世界というのは、決して「異世界」ではない。
この人間の世界も、その中に含まれるものであり。
別のものではない。
だから、「異界絵師」の異界のところを、何か他の言葉に替えたい…と、ずっと思っていた。
が、それも、熟考の末、据え置くことにした。
少なくとも、リアルな人間の三次元的な世界を描くのが題材ではない、ということは、異界という単語で端的に表現できる…というのが、その結論に至った大きな理由だ。
肩書き、自分案内、そして名刺。
これらを作るための試行錯誤の過程で、私が今まで抱えてきた、自分の中の「収まりが悪かったところ」が、次々、居場所を定めていった。
私と絵の関係性、私と神の関係性。
そういった、「私がこの道を往くにあたって、なかなか呑み込めなかったこと」が、驚く程に次々と、納まるべきところに納まった。
そして、その結果。
今までの自分なら興味を持っただろうこと、モノ、人。
そこに興味がなくなっていき。
こだわったであろうことが、全くどうでもよくなり。
見過ごすことができなかった違和感ですらも、どうでもよくなり。
同時に、自分の集中するべきところは、ハッキリしてきた。
色んな画材、素材を使って、いろんな手法で表現する。
それが、自分ならではのやり方だと、思って来た。
複合技を編み出すしかない…と、思って来た。
けれど、今は。
複合技を編み出す、ということに気を取られる必要は全くない…と、思っている。
そんなこと、必死にならなくても。
勝手に、そうなる。
なるようになる。
もはや、私には「そこに執着する必要がない」やり方というのが、できてしまった。
執着する必要がないと、わかってしまった。
もう、底引き網漁を繰り返す必要はない。
これからは、一本釣りだ。
楽しみのために底引き網をやるのはいいけど。
執着したり、必死になる必要は、全くない。
それは、私の役目じゃない。
私は、私の龍を泳がせる場所を、どうやら間違って想定していた。
そのことが、ものすごくハッキリとわかった時があった。
考えを重ねてきたこと、感情を吟味したこと、それによって整理されてきた自分ってものを経て。
あの時…あの、モノトーンの世界の中で。
ああ、もう自分は、そこに力を入れる必要はないんだ…と、わかった瞬間。
砂に水が染みこむような…というのは、ああいう感じを指すのかも知れない。
今回の作品展は、それらのことが起こる以前に企画が始まり。
初日を迎える前に、全て、片付いた…納まるところへ納まった。
その、前後を記憶しておくにはちょうど良い、マイルストーン的なイベントになるだろう。
さて。
初日前夜の私は、そんな気分。
ここから一週間、どういう思いで、過ごすことになるだろうか。
楽しみだ。
一旦、終了→公開は後日。
と、上の行までは7月20日の夜に書いたもの。
無修正でUP。
展示会が始まって、来て下さる方と、お話しする中。
特に、「あかり玉を見に来ました」と言って下さった方々が来てくださったことは、とても大きかった。
私自身の中の、「己の、世界に対する役割」というところに、旗が立った気分。
あかり玉に行き着くまでの紆余曲折も、全て、今までとは少し違った意味を持って、振り返ることができるようになってきた…と感じてる。
最終日まで全て終えたら、また、改めて、その時の所感を書こう。