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緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

そうしようとするのではなく、人が勝手に変わったり考えたり進んだり

2012年に書き残してあったメモに、こんなのがあった。

 

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【いつの間にか、「変えようとしないことは悪」とでも言うような概念に縛られていたような気もする】

 

【人は、それほど浅はかではない】

 

 

 

書いた頃の記憶を掘り起こしてみると。

この頃、周囲には、「変わること」「成長すること」に、やや脅迫感めいた執着をもって物事を見ている人が多かった気がする。

自分も、そうだったかも。

 

やや引いて見た時に、薄気味の悪さを感じたことを、覚えている。

 

そのことでしか、人を見ない。

しかも、本人の枠の中から見てどうか、ということでしかないので。

その枠で「あの人は成長してない」と勝手に決めつける。

その時の言い草は、まるで断罪するかのようで。

 

他人のことばかり言ってるならば、まあ、放置しとけばいいやと思えたけれど。

えてして、自分にも厳しくて。

頑張り度の尺度がおかしいというか。

見ているほうがシンドくなってしまった…なんてことを、思い出した。

 

 

 

本人が、本当にやりたいと思ってないことでも、猛然として取り組む姿勢を見せておく。

そうしないと、断罪対象になる。

 

そんなふうにも、見えてしまった。

 

 

 

 

過去にやってきた、「そういうの、なんかヘンだ!」と、変に感じるところをつつきまわして文章を書く。

そんなやり方には、今は意欲を感じない。

 

変えたいと思わない。

勝手に変わっていくだけ、と、思う。

 

私が提示することは、見て勝手に考えて勝手に変わったり進んだりしてもらえるような。

そんなことでありたいな、と。

 

 

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