セルフマガジン創りを通して得た一番のことは「自己の誇り」の自覚だった
昨日、セルフマガジンの顛末記を書きました。
今日、塾長/セルフマガジン提唱者のかさこさんが、こんな記事を書かれてました。
この記事を踏まえつつ、もう少し、今回作った自分案内(セルフマガジン)のことを書きます。
あまり身内話ばかりになるのもどうか、とは思うけれど。
私自身の絵師活動に欠かせない要素なので。
出来上がったばかりでまだ気持ちが熱いうちに、できる限りのことを記録しておきたいと思います。
もう少し先へ行った時の自分のためにも…という記録です。
はっきり言って、私の絵師道というのは、営業活動とは離反した志向です。
人に説明もできないし、したくもない。
価格も高い。
ご依頼いただいても、どういう絵ができるかのお約束もできない。
(描く対象となる神様を決めることはできますが、どういう内容の絵になるかは、完成するまでわからないし、自由にならないためリクエストもほぼ聞けません)
一枚描くと自分にダメージが残って、ひどいと3日くらい腑抜けになってしまうこともあるので、そうそうポンポン請けられるものでもない。
じゃあ、教える方はどうか…って言ったら。
もう、ぶっちゃけ、何を教えたらいいのかわからない。
私がやってきた練習法や、私が思う「人物を描くコツ」などはレクチャー可能ですが、一般的な絵の教室でされるような「生徒の作品を手直しする」とか「もっとよくなるポイントを伝える」などは、全然できません。
でも。
一応、営業活動もしていかなきゃ…というか。
もう少し、ダンナに依存せず自身で立てていかなきゃな…という思いはあるんです。
それで、当初、「まっとうな構成」で、ラフを作った。
そしたら、かさこさんは、そこをきっちり、指摘してきたのですよ。
わざわざ、そのことだけを、一通のメールとして分けて、投げてきた。
(全文、冒頭のリンク先顛末記に掲載しています)
今日のかさこさんの記事から、引用。
したいことを実現するツールが
セルフマガジンであって
したいとあまり思っていないけど
仕事がとれさえすればいいわけではない。
緋呂さんのようにラフまで作っていながら
全とっかえ案をのみ
作り変える覚悟のある人はそうそういない。なぜよくできたセルフマガジン案を全とっかえ作り直しの「ちゃぶ台返し」をしたのか : 好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライターかさこのブログ
…と、書いていただいたけど。
今回、私には、「ここまでやったのだから、ひとまず今回は、まっとうなモノを作ろう」なんていう選択肢は、ヒトカケラもなかった。
だいたいにおいて、私の人生上の選択は、一択のみ、ということになるケースが多いのだけど。
今回も、そう。
やってみて、やっぱり全うなモノも要るよね…となれば、その時また作ればよいだけの話だ。
「捨て案」と言いつつ「これしかないだろ?」と言う説得力のあるモノを提案されておきながら、「いやいやそんな突飛なものは…」とか。
ないでしょ、そんな選択。
そんな選択する方がどうかしてる。
誰のための冊子だ?
自分のための…だろう?
そして、その案を受け入れて、全部破棄してゼロからやり直していく過程で、もうこれ以上ないくらいにハッキリ、固まってきたことがある。
「理解してくれなくて結構。
説明しなきゃ受け付けないなら、受け付けてくれなくて結構。
もっともらしい理由なんか、要らない」
ということ。
今までもそう言っていたけれど。
やっぱり、どこかで、「いや、でも、やっぱり理解してもらえるように説明できるようになった方が…」とか、気持ちが残ってた。
それに、「気に入られないのは、気に入られないモノしか描けないからだ」みたいな卑屈な感覚も、根強く残ってた。
そういうところが、ふとした行動に、迷いとなって出てくる。
今回の冊子~名刺作りの行程で、それを、一連の流れの中で作りだして、ひっくり返して、削り落とした。
今は、そういう感覚だけ、残っている。
自分の中の、自分にしかわからない「誇り」ってのがあって。
それを掘り出し、体感し、自覚した。
それが、最も大きな、制作過程を通して得た成果。
プライド、っていうのとは違うよ。
プライドは邪魔になる。
無意味な制限につながりやすい。
…と、いうのが。
顛末記も書いて、それを受けて塾長が書いてくれた記事を受けた後の「今」です。
モノを作る、ということは、自分の中にあるモノを棚卸しすることです。
特に、こういった、総合的に自分を俯瞰する行程が必須になるモノは、それが顕著になります。
スキルに逃げれば、そこそこセオリー通りで、そこそこ小ぎれいで、まとまったモノには、なるかも知れない。
それでも、上手に作れば一定の評価は得られるでしょう。
でも、果たして、それで自分が満足するのか?といったら…どうかな。
「一定の評価が得られた」ということに満足する…それで本望ならば、それでもいいでしょう。
残念だけど、私にはそういった意味での社会軸は、ごっそり欠損しております。
その残りカスみたいなものが、しばしば自分の決断を阻害してきたんだな…ということは、今はハッキリしています。
これが、金銭と交換…それも、安い額ではなくて。
その交換が成立するようになり、ダンナが一夏丸っと休暇とれるくらいに持ち込むってのは、一つの目標ではあるけれど。
その目標のために、自分の視界からは出てこない策を人からもらう、ということは当然あるけれど。
そのために何を見失っても良いか…っていったら。
それは、大間違いなのです。
少なくとも、私にとっては。
かさこさんは、塾生以外の人にもセルフマガジンの編集サポートメニューを展開されるようです。
人によってまったく違うセルフマガジン。
だからこそおもしろい。
時々ちゃぶ台をひっくり返すような
アドバイスをするかもしれませんが
冊子の目的と本人の志向ににあった
マガジン作りのお手伝いを
これから活動の1つの柱に
加えていく予定です。なぜよくできたセルフマガジン案を全とっかえ作り直しの「ちゃぶ台返し」をしたのか : 好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライターかさこのブログ
本丸が本気で動いたんじゃ、私がナビやるって言っても、当然霞むなあ~(笑)
でも、それは、結局、良いことだと、思えます。
一人でも多く、「自分が本当は何をしたいのか」という核の部分を掘り出す人が増えるでしょうから。
私も、制作ナビゲーターは続けます。
それを、少し違った方向に展開するプランを、考えてます。
私はやっぱり、神だの仏だの、というのを主に思う人間なので。
そこに繋がっていくような切り口でやらないと、本気になれないのかも知れない。
それも、今回の自分案内作りの中で感じました。
その話は、またの機会に。
ちなみに。
私には、かさこさんの他にも、実質的なブレーンに相当する方がいてくれてます。
一人は、比較的密に連絡を取っていて、今回の一件でも、かさこさんとは別に、しかし同じような向きに、絞って削り落とす感じなアドバイスをくれました。
創作系とは完全にジャンル違いの人ですが、私はアドバイザーは絵描きの気持ちとか思いとかを理解できる人でなくてもいいと思ってるので、問題ありません。
もう一人、滅多に連絡取れないため具体的なことは特にないけれど、自分の根底にある羅針盤の示す先…にいる人ってのも、います。
本来、指導を仰ぐならば、一人に集中したほうがよいのですが。
私は、セカンドオピニオンというか、複眼がどうしても欲しい人間なので、一人に集中するということは、今までも、ありません。
私が、それらの先達へお返しするには…
「徹底的に、好きなように道を創って生き、それを後身に伝えること」
で実現するしかない。
それは、売れるノウハウとか、華々しくメディアに載るノウハウとか、そういうこととは別のこと。
ただし、それを現実にするには、水源に少しでも近づくしかないので。
流れの上流を、目指すのです。