違和感センサーと、糸の回収
<前の記事からの続きです>
こんなことを、呟いた今日。
違和感センサーをオフにする方法は、ないものか…。スルーを心がけているが、ムダな精神力を使ってて嫌なので、暫くオフにしてしまいたいのだが……ああもう、邪魔くさい高感度センサー。
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年5月15日
違和感センサーをオフにする方法は、ないものか…とか、書いたけど、それ、ちょっと違うな、と。オフにするのではなく、感知した後の反応というか、感知したことで起こる欲みたいなところの問題だ。そこで自動的に入るスイッチを切ればいい。まあ、どうしたらいいは解決してないけど(笑)
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年5月15日
何のために、誰のためにやるのか。己の絵描きの一線はどこにあるのかを、すごく考える材料と機会が思いがけず手の中にあった…って感じ。もしかしたら、もう、これで、この糸は役目満了なのかも知れない…と思う程。後は成り行きか。私らの神が回収するのだろう、こういう糸は。万事つつがなし。
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年5月15日
さらに、昨日も、こんなことを呟いてた。
【メモ】違和感センサーは、私の中で最もよく働くセンサーだ。精度はかなり高いと思ってる。でも、それすらも、時に疑ってみる必要はある。そこにひっかかってくるのは、「違和感」であって、それがどういう意味を持った違和感なのか…というのは、センサーの感知するところではないからだ。(つづく)
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年5月12日
(承前)違和感センサーにひっかかった。でも実は、やってきた命題が重くて逃げ出したい願望を反映していただけだった…と。そんなこともあった。センサーが働いたおかげで助かったことは数え切れないけれど、時にはそういう、「長い目で見たら己にマイナスな働きだった」ということもある(つづく)
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年5月12日
(承前)新品の靴は足に違和感がある場合もある。そんな感じで、自分に馴染んでいないための違和感を、危険のサインだと見誤って、後からそのことに気がつく…なんてことも、現実にあった。まあ、気がついたら、その時点でまた選び直せばいいので、問題ないと言えばない。(つづく)
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年5月12日
(承前)ただ、そのセンサーの高感度さが逆に災いするケースも時にはある、ということを自分で理解していないと。常に回避すればいい無条件受け入れというのは、どうにも、自分のことながらいい気分がしない。しかし、この投稿をなんでTwitterにしようと思ったんだろう…
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年5月12日
本当に、久しぶりに、違和感のことを考えた。
以前は、そればっかり考えてた…ってこともあったくらい、私にはお馴染みのテーマだ。
なぜ、今これが急激に持ち上がってきたか…というと。
まあ、具体的に、考えざるを得ないコトが起こったからだ。
ちょっとばかり状況がメンドクサイので、詳細は書かないけれども。
複数の人が関わっていて、意外と、思いがけない状況になったという点もあって。
嬉しい展開になるのかも、って感じたところから、急激に「ちょっと待て。それは、どうなんだ?」という多大なる疑問が発生した…という。
その過程で、違和感センサーがすごく働いてしまって。
なんでこんなことを感じてしまうのかなあ~って、久しぶりに、自分に倦んだ…と。
まあ、そんなことがあった。
余分なことがセンサーにひっかからなければ、「なーんだ」でスルーしてナニゴトもなかった…って話だったんじゃないだろうか。
自分が、余計に、無駄に、面倒くさいことに自分の中でしてしまってるんじゃないか?
そんなところに目が行かなければ、何一つ思わずに調子いいままで済んだんじゃないのか?
…などなど。
思うことがたくさんあった。
私は、自分の中にでも、いくつでも、疑問や疑惑を感じる。
自分を疑う…という行為は、私には特別なコトが起きた時だけの話じゃなくて、ちょっとしたことでも、そうなる。
(昔は自罰的発想が強かったので、そりゃあタチのわるい性質だったけれど、今は、自分であれ誰かであれ、罰という発想はほとんどない)
それは、前の記事の最後にも書いたように、
どうだろう…私は、ほとんど全ての命術鑑定で、「相反する二極要素がある」と言われる。
なくてはならない、度が過ぎてはならない…という難しさ「問題提起と悪口/疑問と猜疑」 - 緋呂の異界絵師通信
だから、余計に… もしかしたら、平均よりも高い割合で、自分内離反が起こっているのだろうか。
もともと自分が生まれ持っている「相反する要素」が、自分の場合は「しょっちゅう綱引きを始める」ような配合配置になっているから…なのか。
単に、「考えているということそのもの」が好きだから、そうなっちゃう…のか。
そして、他の人達は、そんな風にたびたび、双極の間を行き来しないものなのかどうか。
なんにしても。
今回の、この、違和感センサー過反応に関しては、ここを通らなければ先へ行けなかったのかな、という感触にすでになっているので。
この反応を引き起こした出来事が、今後どのように推移するにせよ、黙って受け流すのみ…だ。
この種の糸は、我々の神が回収を行うだろう。
というか、はじめから、そういう風になるように、なっている。
今までの経験からも、ほぼ間違いなくそうなるだろう。
良くも悪くも、万事、つつがなし…なんである。