流行のように使われているたくさんの文言と、考える/感じるチカラ
最近、すごく思うようになったことがある。
ちまたでいろいろ、流行のように使われている文言がたくさん、ある。
・○○軸
・ありのまま
・鏡の法則
・自己肯定感
・承認欲求
・ノンジャッジ
・今ここ
すらすら出てくるだけでもこんなに。
これらが、ぜんぶ、
「だからなに? どうでもよくね?」
って、思えてきている。
なにを、そんなに、こんな「言葉」に、囚われてるんだろう。
それがどれほど、重要なことなんだろう。
なんやかんやと、理屈で言い表そうとしているけれども、結局は、何も、一つも、「そのもの」を言い表してなんか、いない。
そういう表現がたくさん作られて、今もまた新しく作られているだろう。
だけど、そんな言葉をどれほど重ねようと。
たった一つの「行動」が生み出す大きな結果とは、比べものにならない。
それらの言葉を巧みに操る人達が、多くの人の心を軽くしてきた…のだろう。
それは、とても、素晴らしいこと…なんだろう。
こういう言葉たちがまだなかった頃は、人はもっと、自分や人の心のことがわからなくて、苦しい思いしていたはず。
…………なのか?
逆じゃないのか?
ヘタに細分化されてきたから。
迷宮が、さらなる迷宮へ化けて。
やがて、そんなこと特に考える必要のないような人達まで、考えなくてもいいことを考え始めて、迷うようになってる。
そんな、気がする。
そんな言葉たちがなくたって、人は考えるチカラを持っている。
というか、そんな言葉があまりにも安易にたくさん、溢れすぎて。
余計に、考えるチカラも感じるチカラも、薄くなっている。
そんな、気がする。