自分に毒を盛るのはやめようよ
誇張や演出によって、外面を整える…ということは、誰しも多少は、やっていることだ。
それが皆無だと言い切れる人はいないんじゃないかと私は思う。
わかりやすく整理するために過程のいくつかを省いて、そのためにつなぎの部分に若干の脚色が入る…なんて、ザラだろう。
表現の仕方を工夫することで、事実よりもよいイメージを抱かせる、というのもそうだし。
受け手が勝手によいイメージを抱く、というように仕掛けることも、演出だし。
それは、剥き身の事実とは異なるものだ。
けれど、粉飾となると、話は違ってくる。
事実ではないことを、事実であるかのように騙ることが粉飾だ。
たとえば、起業したての講師などがよくやる手段に、
「長期に渡る高額なセミナーを一括払いさせ、当月の売り上げを7桁に乗せる」
というのがある。
一ヶ月だけでいいから、一度でいいから、7桁に行ったという事実を作る。
その後半年は売り上げゼロでもかまわない。
その事実があれば、売り上げ7桁を謳うことができる。
これは、「事実」を言っているわけだ。
そこから半年は0売り上げだった、なんてことは、あえて言う必要はない。
7桁の売り上げを出してる私が、これから起業する人にコツを伝授します!
と謳っても、問題はない。
事実だから。
「7桁の売り上げを出し続けている」と言えば、嘘だけど。
でも、それを目論んで企画したものの、人数が満たず、7桁に乗らなかった。
それを、「乗った」と言ったら、アウトだ。
嘘だから。
ホントのことなんかバレないだろう、と思って、7桁出したことにして、それを謳っちゃう。
うまくいく起業の仕方を教えます!と、嘘のネタで人を集める。
これは、やってはいけない。
7桁にするための人集めに、多少強引なやり方があったり、バーターで自分も相手の高額商品を買ったり…なんていう、水面下での行いは、やむを得ない場合もある。
その時の至上目的が7桁を記録することであるならば、なんとしても達成すればいい。
でも、満たなかった売り上げを、達成したかのように謳うことは、NG。
ましてや、それをその後の集客のためのフックにするなんて。
そういう話をすれば「そうだよねー」と納得する人であっても。
なぜか、「できない」「できてない」ことを「できている」かのように見せかける行為を素でやっていることがある。
明確に「できてる」と言ってないからいいよね…などの発想なのかも知れないけれど。
そうした方がよく見えると思うのだろう。
人も、そういう風に見てくれると、思うのだろう。
もし、そうだとして。
自分は、自分がその粉飾をやっているという事実を、スルーしてくれるだろうか。
自分自身には、それが嘘であることは、わかっているのに。
それを、何の痛痒もなく、流せるものなのか?
顔で笑って心で泣いて…というのは、そういう場面で使う言葉ではないよ。
それは、苦しい時にも顔に出さず、人には笑顔を向ける、という、ある種の美学だ。
決して、嘘をついていることを自分にもごまかすためにすることではない。
絶対に嘘はダメ…なんて、私は思わない。
必要な時もある。
時には、自分をごまかすことが必要な時だって、あるだろう。
だけど、粉飾は麻薬みたいなものだよ。
自分自身に毒を盛っているんだよ。
親しい人にですら、嘘の話をするようになる前に。
嘘を嘘と自覚して、痛みが心にあるうちに。
そんな道筋は、変えたほうがいい。