他人の記事の長さすら枠をつけようとするのかよ
短くてシャープなブログ記事って、好きだ。
伝わりやすいとも思う。
私も、短くまとめたいなと思う。
できることならな。
が!
何が何でもそうしようとは、カケラも思わない。
時には数行で終わることもあるが、時には、だ。
何のために書いてるかといえば。
自分のためだ。
今、この時に、考えてたり、解消しようとしている己の課題だったり。
そういう、脳内でやってるだけではまとまりきらない、整理も切り分けもできてこない大きな塊を分割して落とし込んでいくために、書くのがベストだから。
基本、表現者とは露出狂なんだよ。
留めておけないから、垂れ流す。
ごくごく希に、その中のほんの一滴の飛沫が光るという僥倖が訪れるものの99.9%はただの排水みたいなものだ。
なんというか…
ああ、そうそう。
加工職人さんの体にくっついている微細な金を回収再利用するための、洗い出した水。
中に、微細な金が含まれているけれど、ほとんど不純物しかないという。
それでも、集めて回収すれば、その微細な金は何かに使うことができる。
そんなようなもの。
だから、世の中の全員が、長すぎて何言ってるかわからない記事は失敗だとか、無駄だとか、逆効果だとか、疲れるとか言ったとしても、関係ないよ。
それがどうした。
短く終わりたい時はそうするし。
そうでない時はどれだけでも沢山書く。
悔しかったら、人を消耗し尽くさせるくらい長いの書いてみろや。
と、いうことで。
私も「短くまとめようキャンペーン」時々やるけれど、長い記事はダメだ枠にははまりませんから。
読みたくなけりゃ読まんでよし。