見るべきものは、制限中でも自動的に見ることになっているんだなぁ
SNS…私の場合Twitterは流すだけで見ないことがほとんどなので、主としてFacebookなのだが。
それを見る機会をぐっと減らした。
パソコンも、作業が必要でない限り電源を入れないようにしてるので、日中はスマホでアクセス。
画面が小さくて、入力もしにくいので、自動的に見る時間もコメントも減る。
一回のアクセスごとに、3スクロールくらいまでがせいぜい。
で、気づいた。
アクセスの回数も減らしてるし、3スクロールくらいしか見てないにも関わらず、そのタイミングで上の方に上がってきてる人の顔ぶれというのが、ホント、なぜか決まってる。
投稿回数が多い人ならともかく、そうでもない人ばかり。
面白いくらいに、なぜかそうなってる。
なので、コメントしたりイイネを押したりする機会をもらった人が、ものすごい偏ってきてると思う。
シンクロだ~。
なーんて、一人で遊んでみる。
昨日のぶっちゃけ記事の後、いろいろ、コメントやメッセージをもらった。
そこから、いろいろ見えて来たことがあって、それはちょっと気合い入れてまとめていこうと思う。
あの話とその周辺にあるモノのことは、けっこう自分的にヘビーなことが多い。
また、コメントその他とは別に、深いところで一つの塊に繋がってるように思える他の方の書かれた記事などが、いくつも目に入った。
ブログもあんまり読みに行かなくしてるのにも関わらず、ちゃんと、見るべきものは見るようにできてるらしい。
このテーマを、ここで一旦毒抜きしてやることで、その先の自分の言動にどういう影響が出るか、というのが、楽しみでもある。
言葉…文章に変換できるようになったのが、まだ比較的最近の話だ。
それまでは、「見えてないけど、何かあるな、ってことは感じる」という状態だった。
透明な壁は、パッと見ても識別できにくい。
が、その壁にひとたび、ひび割れができたなら…あっさり、見えるようになる。
そんなようなものだ。
「あかり玉」という商品ができてきたから、わかったこと。
ということは、それ以前には、そこにあるものを計測するためのメジャーがなかったということだ。
水量を測りたいのに、あるのはモノサシだけ…みたいなこと。