【自分メモ】ブログを書く「自分理念」という話
目的が変わった→他も見直そう
ブログの目的を間違って考えてた時に作った「自分理念」が、間違ってるとわかった後にも同じままでいい…わけない。
クレドとか、ミッションとか、いろんな言い方があるけれども。
目的設定が変わったら、当然、他も見直さなくては。
なんだけど、どうも、今までの記事をざっとおさらいしてみても、自分理念を書き直したような形跡がなかった。
せっかくなので、立春前のこの時期に、それも考えてみよう…と、思った次第。
ブログを書く、ということの「自分理念」
かさこ塾の課題に、「ブログを運営していくにあたっての自分理念を作る」というのが、あった。
私は、その時はまだ、いろいろと思い違いをしていた頃でもあったのだが。
なんせ、「絵の」販売やオーダーに繋げる…というのを一番の目的だと思ってた頃だ。
いや~、ないわ~。
今はもはや、絵を商材であるとすら思ってない。
当時、課題として提出したのが、以下の2項目。
- 人は見えない世界に支えられている、ということを広く感じてもらう
- 自由な自己表現を楽しむ人を増やす
それなら、今はどうか…というと。
その件は、立春後にでも。
人の役に立つことを書きたい…という意欲が薄いのです
これに尽きるね。
ただ、そればっかりでも、やっぱり、今一つ面白みには欠けるな…と思うので、時々ブログ企画など、やってみたりするわけです。
今アメブロでもやってます。
“悩み”とは何か、ズバリ特定できますか? - 緋呂の異界絵師通信
視点を変えて書いてみればよい…という理屈
言ってる意味は、わかります。
わかるけど、非常に、困難です。
昔はできた。
今は難しい。
いくつか備えていた複眼カメラが、今、ほぼ全停止中です。
自分の目と自分の視点以外の第三者設定を、別のカメラに搭載して別稼働させていました。
長らく、そういうことをやってました。
しかし、もうこの2年ほど前から、それらが機能しなくなってきて、今ではほぼ全停止。
そうなると、私本体には別の視点でものごとを記録できる機能がないので…。
自分の中にあることを、「書き方を変えて人に役立つものに料理する」ということが、ホントに、できなくなってます。
いやあ、もうホントに、本気で残念な仕様だな、と思います。
いつか、再起動する日が来るのかなあ~。
結局のところ、人が勝手に知らないところで汲んでくれる…というだけ
それでいいかな…という以上に、「もはや、それしかない」って感じですね。
2015-03-26の記事から
『何千字 何百行と 文字重ね 虚空に遠く 沈みし小石』
散漫だろうが話が飛ぼうが、面白がってくださる方もいてくださったし。
(中略)
誰にともなく書いた記事。
鍵付き日記に書いてしまっておくのではなく、ネットの公共の場にながしていくことで、ほんの小さい波紋にでもなったらいいしね…程度に、思ってました。
実際に、私の書いたものを読んで、いろいろな考えに思いが巡るようになった…とか。
救われた気がした…とか。
よい気づきになった…とか。
反応して下さる方も、いらっしゃいました。一人そういう方がいてくれれば、水面下にはもっと、いる。
絵が商材ではない、という感覚にまつわる課題
先月下旬に頭上に降ってきた一大テーマは、「結局、自分にとっての絵って何だ?」ということです。
この課題、突き詰めると…
「私にとっての神とは何だ?」っていう話になるんだよねえ。
まだ、今、感覚的なところにまでしか落ちてきてなくて、文章にするとヘンなので。
とりあえず、自分がいかに、こじれまくらせたツンデレ感覚を持ってるか、ってことは整理できましたよ、忌々しい。
ひとまず、少しずつ整理していかないと…。
以上、完全に自分のためのメモでございました。