裾野が広がるということは、薄く薄く間延びして劣化もしていくということ…なんだなあ…
「絵描きを舐めんなよ、って話ですよねえ」
と、思いがけず毒舌トークが花咲いた本日。
絵描き仲間で、学校の先輩でもあるサワ・ローランさんの新作を拝見しに行ってきました。
▽あかり玉の冊子を差し上げてきたのですが、それ持って写メ(^^)
後ろの馬に乗った女神の作品が、今回のサワさんの新作です。
サワさんは、Facebookで鉛筆デッサンやスケッチの画像をシェアされてて、そういうものを描くのがどうにも、億劫な私は、いつも「すごいなあ~」と思ってました。
今日は、それをやろうと思った理由、というのをお聞きすることができまして。
「なんと!そういう理由があったのか!」と、またまたびっくり&さらに感心。
さすがだよ、ちゃんとしてるよ。
ちょっとは見習えよ私!
なのに、サワさんと話してると、こっちが格下&年下なのに、どうもタメ口になっちゃうし…ホント、すみません(^_^;)
記事タイトルの
「裾野が広がるということは、薄く薄く間延びして劣化もしていくということ」
これは、残念ながら、避けられないこと…なのかも知れません。
むろん、私自身も、そうそうハイレベルなわけではないので。
もっともっと上の方からしたら、「薄めて劣化させてる」側の人間かも知れない。
けれども、私のような末席にいる者からしても、
「いやあ、それはちょっと、あんまりじゃない????」
って思えるようなことが、堂々まかり通っていたりします。
昨年は五輪話で、パクリってのが話題になりました。
けれど、世の中には、最初から「人から図柄をもらって描くもの」という文化の流派もあるんですよ。
上の先生が新しい図柄を発表してくれないと、新しいものを教えられない…とか。
言っちゃう先生とかね。
実際にいるんです。
なんか…そういうところで初めて「絵を描く」ことを覚えた人達が、さらに資格を取って教えていく…と。
すると、ロクに何も描けない人が、次の人に教えてる…ってことに、なる。
まあ…私も、絵描き歌的手順でやれば、誰でも龍は描けるよ、って、ワークショップしてます。
そして、それは事実です。
デッサンなんか全くできなくても、それなりに描けます。
慣れればバランスも取れてきますしね。
でも、それは、「とっかかり」にすぎない。
数稽古するうちに、自分のやり方っていうのが見えて来て、だんだんと、その手順を離れても描けるようになるものです。
そして…もっと、質の高いものを表現したい、という欲求が出てきた時。
山を描きたい。
山水を描きたい。
他の瑞獣を組み合わせたい。
人を描き込みたい。
そうした時は、どうするか…っていったら。
さすがに、ある程度の「基礎」を習得していないと不可能な表現というのが、どうしても、出てくる。
その時、自分が表現したいものを実現するための努力を厭わずできるか…と。
それがないのに、一定の「安心できる箱庭」のような固定化された様式の中に留まり続けて、そこから出ないままで小綺麗に仕上げることには長けていく。
小綺麗に仕上がればいい、「絵なんて描けない、と思ってたワタシが、こんなにできるようになった!」という満足感だけあればいい…と。
そういうことなら、それを「アート」と呼ばないで欲しいな…とか、ね。
まあ、結局、冒頭の
「絵描きを舐めんなよ!」
って、話っすよ。
て、主に毒舌吐いてたのは私であって、サワさんはもっと、丁寧だし上品な方です。
陰陽の、キレイなところで生きてる方…っていう感じですね。
私は、半濁エリアに住んでますんで、口も悪いし態度も悪い(笑)
箱庭の中であっても、描くという表現手法を純粋に楽しんでいる人達のことをdisるつもりはありませんので。
「私のことですか?」とか「ごめんなさい」とかいう反応はご遠慮ください。
楽しめることがある、というのは、素晴らしいことです。
手軽にできて満足度が高いなら、なお素晴らしいです。
どんどんやりましょう。
女神という響きがヘンに感じないサワさんのブログはこちら。