映画「シロウオ」には、単に原発のこと以上の大事なものが詰まっている
かさこさんが監督をつとめられた自主上映作品「シロウオ~原発立地を断念させた町~」の試写会がありました。
名古屋でも上映会を…と、かさこ塾の名古屋メンバーの有志さんが中心になって計画してくださっていて。
ここまで、私はノータッチだったのだけども、映画は一度は見ておきたいと思っていたので、今日参加させていただきました。
これね。
すっごく、淡々と進みます。
派手なシーンは何一つない。
でも…だからこそ伝わる「なぜ、原発誘致に反対したのか」というメッセージと。
「誘致を断った結果を、今、どう見ているか」というメッセージと。
それは、おそらく、派手に「原発反対~!」「絶対許さない~!」みたいにブチ上げていたら、伝わらなかったであろう「ホンネ」だと思いました。
補助金を受け取っていたらどうなってたか…とかね。
闇雲に反発するのではなくて、いろんなことがあっての「結論」であり、「結果」であり、それから30年経った今。
再稼働云々とか。
輸出云々とか。
それを、個人個人がそれぞれ、よーく考えなきゃならない時だから、こういう映画は広まって欲しいと思います。
考える素材として。
上からとか、声の大きい人からとか、権力のある人から…などの「どこかから言われたこと」によって反応するのではなくて。
名も無き人達が、どのように考えて判断して、反対運動をしたのか。
どうして、故郷に原発を作らせない方へ動いたのか。
それを見ることで、現状とこれからの未来について、「自分は、どう考えるか」に、思いを向けるきっかけになると思う。
私は、漁業のことは、よくわからない。
でも、作品中に登場した「農家は田を持って逃げることはできない」という言葉は、よくわかる。
水田の緑、流れる雲。クリアな空。こんなに美しい光景があるのに、なぜこの国では米農家がこんなに苦労しなきゃならないんだろう。
いつも福井と往復する時、この県にはたくさん原発があるな…と、思う。
いつも通っているルートからは、「もんじゅ」「ふげん」がいる場所も見える。
9月に行ったのは、ものすごく美しい海が広がる場所だった。
最近話題になった東野圭吾の「天空の蜂」の舞台になったところ。
半島の反対側には、美浜原発。
福井へ行くルートは、本当に、景色が良い場所が多い。
そして。
私が住んでいる地域は、山脈と山脈の間を通り抜けて、日本海側の風が吹いてくるのだ。
世に名だたる「伊吹おろし」というヤツだけど。
つまりそれは、あれらの一基にでも何か起これば、こちらへ向けて吹いてくるってことでもある。
若狭湾から、琵琶湖を経て、伊吹山の麓を通り抜け、濃尾平野へ吹き下ろす風だ。
福井往復は、そういうことも思いながら、走る。
少し想像力があれば。
わかると思うんだよね。
その景色は、一瞬で半永久的に失われるものだって。
でも、実感がわかないものでも、あるかも知れない。
反対反対、と叫んでも。
理屈で害を訴えても。
想像と結びつかないのなら、あんまり効力を持たないのかもしれない。
30年前、原発を退けた小さな町の当事者達が語る言葉は、その「溝」を、もしかしたら、補うかも知れない。
少しでも、その材料になるかも。
原発のことだけではない。
人の営みというものの、根源的なものを、淡々と感じさせる映画だった。
日々の暮らし、世代から世代へと受け継がれる「意志」
自己の柱が寸断されて、人が核を見失ってるなって思う今の時代には、そういうものを思い起こさせる材料が、必要じゃないかと思う。