「認められること」 に執着しすぎな人へ・・・
認められる、ということは、そんなに必要なことなのか?
そんなに、重要なことなのか?
認めさせる、ということは、そんなに必要なことなのか?
そんなに、重要なことなのか?
みんなが、それが重要だ、そこに全ての原因があるんだ…みたいなことを言うから。
なんか、そんな気になってる。
そういう可能性はないのか?
そうか、認められないと自分を受け入れられないんだ!
そうか、自分を受け入れられないのは、認められたいのが満たされてないからなんだ!
…っていう、「問題のすげ替え」なんじゃないのか?
そういう可能性は、ないか?
イコールで結びつけられた項目は、本当にイコールなのか。
プリンに醤油かけたらウニの味!
みたいな、話だったりしないか?
認められたい、ということが重要なのは、構わない。
認められないことを「カワイソウ」がるのが、腑に落ちないだけ。
それが満たされないと動けないよね、っていう理屈に甘んじることが、腑に落ちないだけ。
今は動きたくない。
それが自分の気持ちなら、単に「動きたくねえんだよ」でいいのに。
もともと別の問題のハズのことをくっつけて、それが「真実」みたいに、両者を切り離そうとしない風潮がイヤだ。
動きたくない、っていうのを「言えない」のはなぜだ?
動きたくないことを正当化する必要があるのは、なぜ?
好きなことをやろう。
やりたいことをやろう。
って、言ってるのに。
動かないでいることが、やりたいなら、そんでいいじゃん。
で。
そう言われて、どう思うのか。
その結果、どうするのか。
自分で吟味してね。