手の中の灯火で照らせる範囲。それが、私の現実世界
あかり玉冊子と、あかり玉専用サイトの制作を交互にやってた、この2日間。
冊子は大詰めで、あとちょっと。
先に、印刷屋に発注だけ済ませました。
印刷部数をどうするか…と、考えて。
200も発注しちゃったよ。
だって、100刷るのと200とで、650円くらいしか値段の差がなかったんだもん。
印刷って、そういうもの。
オタク活動やってた頃も、部数にはホント、悩まされたよ…。
あの頃はページ数も多かったから、けっこうな金額になったしねえ。
今からじゃ考えられない印刷代金だったです。
通販印刷普及のおかげで、ホントに、安くできるようになりましたよ。
フルカラーの冊子をこんな価格で印刷してもらえるなんてね~。
そして、専用サイトも、そこそこできてきてます。
冊子の内容をWeb用に組み立て直して、ギャラリーページと通販に必要なページを足して…っていう感じで、原稿はどちらも共通なので一気に作るのはラクでよかったです。
冊子を配布する日までに、独自ドメインが通るように設定します。
こちらでご案内するのは、その後ということで。
近況は、そんな感じなのですが…。
どうも、いろんな事柄を経て、ただいま「ネット離れ」な気分が続いてます。
ブログに主張を延々と書くのも、なんだかメンドクサイし。
他の人の記事やFacebookなんかを見るのも、メンドクサイ。
そんなことしてるなら、漫喫にでも籠もって好きなコミック読んでた方がずっと幸せ。
なんか、そんな気分です。
アレも、コレも、「くだらねえ…」みたいに、思えております。
電波の彼方からのエコーみたいな、アレコレより。
私ゃ、自分の手を動かして、届けることができる人に届けられるべきものを作る方が、ずっといいよ。
実体があるような、ないような…なのに感情を逆なでることだけは威力を発揮する。
そんなものに時間もエネルギーも浪費するくらいなら、何も情報なんて仕入れなくていいじゃん。
そんな極端な感覚にも、なってくる。
自分の手に合った道具が見つかっていて。
それが手元にあって。
材料もあって。
それをカタチにすること以上に大事なことなんて。
少なくとも、それは私がやらなきゃ、誰もしないしできないことだ。
今日、とある方の投稿についた、「祈り」っていうものについてのコメントを見て、それについての記事を書こうと思った。
書き始めてしばらくしたところで、猛烈に、バカバカしくなってしまって、全部消したの。
その時に、「なんかもう、ホントに、アホくさい」って、今までになく、しみじみと、感じてしまった。
私が天使崇拝の世界から「ああもう、ホントにもう、こんなところにいられない」って実感したのは、311福島原発事故の直後だった。
あの頃、天使系スピの人達の中で発言力のある人が、あまりにも馬鹿げたことを言っていて。
その馬鹿げたことを、こぞってコピーして拡散しまくる人達がいて。
私の描いている天使は、「その業界」で言われる天使と同じ名前だったりするかも知れないけど、どう考えても別の存在だとしか、思えなかった。
今は、あの時ほどのヒドイ厭世観は、やってきてないけれども。
案外、自分自身の感覚としては、かなり近いところに、きてるかも知れない。
自分の現実は、自分の手元にある、道具や材料と、そこからこの世界に生まれ出てくるモノたちで十分だ。
今の私には、アッチもコッチも、アレもコレも、小さな窓から見える景色と大差ない。
誰が何をやってようと、何を言ってようと、勝手にしたらいい。
私は、手の中にある灯火が照らせる範囲で、十分。