旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

孤独であることの是や効能と、良質な仲間の必要性

ここしばらくの間、反芻してたことのまとめ的な記事です。

 

孤独であることの是/効能 を掲げる。

 

それ、昔は私、アタリマエのことだと思っていた。

けど、現実に人と上手に関われないことの正当化として、それを打ち出している場合には、どうなのかな~って、この数年かけて、感じるようになってきた。

 

人間、何かをする時は、一人だ。

結局、誰かと協力するとしても、一人でやるんだよね。

自分がやるべき箇所は、誰かと共有はできない。

 

一人で積み上げた仕事を、持ち寄って、それが集まって一つに組み上がった時に、「共同作業が完成」する。

 

本当の本当に一人でやりおおせることなんて、爪にくっついた砂の一粒程度のものだ。

 

一人で生まれてくるわけじゃないし、一人で死ぬわけでもない。

一生涯無人島で一人で暮らして誰とも会わず話さずそのまま死ぬ…という以外には。

でも、そんなことはありえない。

 

一人の時間が必要だ、ということと 他人の手が全く要らない、ということは、

同じではない。

…ではなくて。

 

明らかに、違う。

 

そこの区分けがちゃんとできてないのに、人の手なんか要らない、って言っちゃうのは、ちょっと違うのかな~と。

 

 

ざっくりと、自分の視界を見回してて、いつも「なんでかなあ」と思うことがある。

 

人が嫌いとか、引きこもってた方がいい、とか、孤独が好きだ、とか。

なんか、そういうことを公言する人に、しばしば、奇妙なまでに 「孤独癖があることの優越感」とか「人と交わらない、ということを賛美し、輪を作ることが好きな人達をあからさまに侮蔑する」とか。

そういう傾向の人を、見かける。

 

これ、逆は滅多にない。

まあ…イジメのネタとして「ひとりぼっち」を揶揄する…などは、ある。

ただ、その場合は、相手をけなすことがそもそもの目的だ…ってのが、わかる。

交わらない自分、ってのを賛美するために、逆を強烈に蔑視する…っていうのは、「ぼっちいじめ」の人達よりもずっと、ねじれた感じがするのだなあ。

 

 

 

私も、孤独な方が好き、っていう時間比率が高い。

だから、放置しておいて欲しいとか、やることに口出しされたくないとか、引きこもって集中したいとか…そんな時はしょっちゅうある。

 

基本、一人が好きだ。

今も、単騎行動で生きてる。

 

誰かと協働することはあるとしても、基本は単騎だ。

だから、なおさら、奇妙なまでに賛美するのを見ると、首をかしげたくなる。

 

 

過去に、そんな傾向の高い人と何度か、大トラブルになったことがある。

だから、そういう偏見ができてしまってる…というのは、あるかも知れない。

 

でもさ。

これが、ホンネ。

 

 

孤独であることの効能を、ちゃんと「使うことができる」なら。

人間には、必ず、他者との関係や協力が必要なんだ、ということも、わかるハズだ。

私は、そう思う。


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