「自分のこと」としてとらえて挑んでいるのかどうか…という姿勢は全てに現れる
自分で企画・実行した、自分自身のための作品展…というのを、今までに何度か、やってきた。
費用の問題などもあって、都度、適していると思われる相方や仲間を誘ったりもしたが。
企画そのものは、いつも、自分の作品のため。
また、他の人が企画した展示会に乗っかって参加したことも、ある。
最初から「団体」で運営し、毎年持ち回りで幹事が変わる…というグループ展にも、参加してきた。
自分が主催ではないが、補佐的な立場で最初から最後まで関わった、ってことも、ある。
どの立場もやってきて、思うこと。
どのような立ち位置での参加であれど、それを「自分のこと」として全体をとらえ、その企画にたいして制作者として挑んでいるかどうか…ということは、あらゆるところに、姿勢が現れるものなのだ。
自分が主催じゃないから、他人事。
そんな意識で参加していると、やっぱり、全体を通した関わり方が他人任せになる。
顔を出せる頻度とか、接触回数という意味ではなくて。
(もちろん、それも大きな要素だけど)
意識の問題だ。
仮に、打ち合わせなどにもだいたい顔を出している人でも、「自分は末端」とか、「主として行うのは自分じゃない」とか思っていると、そういう関わり方になる。
毎回そこにいるのに、毎回あれこれ手伝ってるのに。
なぜだか、ちっとも、主力にならない。
逆に、そんなに顔を出してなくても、すごく熱意をもってちゃんと考えている人は、ここぞという時に威力のある動きをしてくれたり、びっくりする作品を持って来たりする。
そして。
えてして、他人任せな感覚で関わる頻度が高い人は、何においてもどこか手抜きを感じたり、無責任さを感じたり、蔑ろにあたっているように感じたりする。
「あなたの人生だからいいけど。ホントに、それでいいの?」
って、思うこともあるくらい。
「自分には自分のペースも都合も生活もあるんだから、仕方ないじゃないの」
なーんて、言う人も、たまにいる。
確かに、そうだ。
あなたの生活は、あなたのものだ。
そして、あなたは
「他のこともいろいろあるんだから、仕方ないじゃないの」
とか言いながら。
いつも、中途半端な、主張も感じられないような、ただ単に持って来たというだけの、つまらないモノを、展示に出すのだ。
「わたしの時間は、これだけに当てられるわけじゃないんだから」
とか言いながら、どう見てもやっつけ仕事の片鱗をあちこちに見せるモノに、自分の名前を付けて展示するのだ。
もともとは、私よりも技術が高いけれど、一度たりとも展示会の相方に誘おうと思わなかった人、というのが、いる。
費用がいかにかさもうと、その人を同じ空間に引き入れて展示するくらいなら、借金する方がマシだ、とすら思えるような。
マトモに創作活動に身を入れれば……なにも、生活の大半を注ぎ込めなんてことは、言う気は無いけど、少なくとも、やっている時間はそこに向かって全力投球してくれれば。
よいものを作る素地があるのに。
いつもいつも、お茶を濁したというモノを適当にあしらうように作って。
見せ方にも、全く主張もなく。
そんな「その人」は、いつも、グチグチと文句を言い、人のアラ探しをしている。
「本気にならないことで生まれる空虚さを埋めるタネ」を探しているように、私には見える。
…見えた。
もうずっと、関わってすらいないから、過去形。
私は、その人に、企画の案内状なども一切、出さなくなった。
(もっとも、古い知り合いには、ほぼほぼ全然、案内を出さないんだけれどね)
企画に参加する仲間として見ることができない…という以上に、
「創作仲間としての会話」すらも、できない。
そんな相手に、なっているから。
何枚も描かなくていいのに。
たった一枚でいいから、とにかく、それに全力で挑んで、未完成でも不出来でもいいから、気合いだけはやりきって、持って来てくれたらよかった。
3日、搬出を迎えた陶芸倶楽部の作品展は、熱量の高い方が参加してくれていて。
当番の時間にしていた「モノ作り談義」も、楽しいものだった。
挑もうという意欲のある人と話すのは、楽しい。
作るモノの方向は違っても、狙うところが違っても。
関わるようになった時間が短かったとしても。
通じるものが、ちゃんとある。
過ごした時間が長い相手でも、通じなくなってしまえば…過去の人だ。
ウマイとかヘタとか、関係ない。
技能が高いかどうか、センスがあるかどうか、アイデアがあるかどうか。
そんなのも、関係ない。
一体、あなたは何をしたくて作ってるのだ?
そんなことを聞きたくなってしまうような「心ここにあらず」なモノをたくさん持ってきたって。
そこから流れ出る空疎感は、ごまかせない。
ましてや、額すら適当に「あるものを使ってる」感がありありとわかるし。
一つ一つ、あらゆるところで、そういう姿勢が、モノゴトを台無しにしていくのだよ。
持って生まれた素質が高ければ高いほど、そういうのを見ると、私は非常に腹が立つ。
アンタは、アンタに失礼な生き方をしてる、と。
思ってしまうので。
自分の時間から、そんな風に感じる人との接触は、どんどん、減らしていこうと決めている。
熱量の高い人と関われば、自分の熱量も上がる。
薄い人や、低い人と関われば、引っ張られて薄く低くなっていく。
「自分のこと」として、様々なモノゴトに取り組み、挑んでいるかどうか。
それは、生き方そのものに反映されていく。
幸いなことに…熱量の高い人との関わりをたくさん持てるようになって、自分の熱量も明らかに、上がったと思う。
もうすぐ来る、新しい一年のスタートに向けて。
改めて、自分の向かう先を、考えてみよう。