緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

一人が一つずつ持ち歩ける灯火

あれこれと、多方面をやってみる。

いっつもそんな感じでやってきた。


過去をずーーーっとたどると、とあることには、気がつく。

 

 

切り絵→ランプシェードを作った

ビーズ→シェードを作り始めて飽きた

陶器→シェードを作ろうと計画中(その前にろくろが上手くならないと思う形が難しいってのが判明…というのが現在地)

木材→本職に発注して形を作った

焼き絵→点灯した時と消灯した時で顔が変わるシェードを作ろうと企画した→これが「ひょうたん」に連結

墨絵→背後から照明を当てた演出をしたいと思った→木工所に発注して作ってみた「行灯」で、なんとなく形見えて来た

現在地/ひょうたんランプ

 


どの素材でも、最終的に「これで照明を作ったらきっとキレイだ」に、行き着いている。

 

 

上の投稿に、友人がこんなコメントをつけてくれた。

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そう、その通り。

 

全部、光に行き着いた。

 

ある、光の絵/開運画の先輩が、この絵を見て

「あなたは、描かないことで光を描く人なんだね」

…と、おっしゃった。

20120122susa800

この絵は、板に焼き付けてあるので、この絵の「最も明るいところ」とは、板の素の色がそのまま出ているところ。

降りてくる光は、一切手を入れてない、素の板の色。

焼き残すことで、光を描く…確かに、「描かないことで描く」だ。

 

結局、絵でも、光を描いてる。

 

神絵だから光でしょ、っていうのはね。

違うんだよ~。

 

闇の神もいるからね。

悪い神、という意味ではないからね。

っていうか、日本の神様は、ほぼ、すべからく…と言ってもいいほどに、闇の属性も備えておられますがね。

 

 

 

灯台のような大きな燈火なら、誰もが目にとめる。

そこにあるだけで、役目を果たす。

 

こんな小さな私の灯火は、別に、役には立たない。

 

炎の、「ほの明るい」光に照らされるからこそ素晴らしい…という仏像があるように。

灯火にも、適材適所がある。

 

 

小さな灯火は、一人が一つずつ、持ち歩ける。

そうなってこそ、この灯火は役割を果たす……そんな気がしてきた、今日この頃です。

 

 

 

点灯して、中間チェック中のひょうたんランプ。

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この写真Facebookに載せたら、「エレガント」とか「お洒落」とかいう、かつてないような希な感想コメントいただいた!

びっくりする!!

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