緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

モノゴトとは、思うよりも単純で、世界は広大で計り知れないから、ちっちゃな人間ごときに俯瞰できるわけもない

これはできない。

これはダメ。

これはたぶん向いてない。

 

そういう感じで却下してきたことの中から、また、拾い上げることがある。

 

それを「捨てた」当時、捨てるを選んだ時の自分の思いってのが、「コト」に絡みついて残っているって場合も、当然あるので。

そういう時は、まとわりついてる余分なところをまず、切り離していかなきゃならない。

 

古いレンガ壁に根を食い込ませてるツタを、引きはがすようなもので。

けっこう、コツもいるし、手間もかかるし、気合いもいる。

 

でも、それをやらないで拾ってきても、余分な部分がジャマするだけなので、そこを手抜きするとロクなことにならない。

 

 

今までの人生上で、一番大きな「過去に捨てたものを拾いに戻った」のは、絵の道。

その時は、勢いで拾ってきてしまったので

(勢いでやっちゃったのでなければ、拾ってこなかったとも思われるが)

絡まってるツタや根っこや、その他の雑木やら草やら…諸々、後からキレイにするのは大変だった。

 

根は深いところまで穴を開けていたので、除去したって穴は空いたまま。

それをあまり気にせずにいたので、程なくしてその穴には別の「不純物」や「寄生」が入り込んでいき、穴をよけいに脆くしてしまった。

おかげで、せっかく拾ったその道標を、危うく再放棄するところだった。

 

歯止めをかけてくれた人がいて、ほんと、ラッキーな私。

 

 

絵の道を放棄した…それは、ある日急にそうした、というのではなくて。

徐々に、そうなっていった。

絵だけでなく、小説書きやスピ系のことも、全て一続きになっていて。

それら全部を連動で「終わらせる」方向にぐっと環境が動いた、という時期があった。

私は特に抵抗することもなく、すーっと、その流れで全部、さくっと捨てていった。

もう要らないな、と思っていたので。

 

 

だけど、その荷物には、すごい強力な鉤爪がセットされていて。

捨てた自分の襟首に…というか、骨の髄に、ただ「引っかけていた」のではなく、「溶接されていた」わけだな。

おかげさまで、伸びきったゴムが戻る時みたいな勢いで、一気に引き戻されてしまった。

何も覚悟もなく、その先に口開けてる地下壕にも気がつかず。

 

 

戻ってからが、ホントのダンジョンだ。

 

 

手元にあるのは、フルセット揃ったカード。

いつの間に配られてたのか知らないけど、手札は常に、必ず必要になるものが揃っている。

 

それから、松明。

これは、誰にもらったか知っている。

最初は、落ちてくる燃料のカスとか火の粉とかで、やけどしまくっていた。

さすがに、今は懲りてきて、松明を直持ちせずにカゴに格納することを覚え、カンテラ化してるけど。

でも、もしかしたら、そのせいで、光源の熱を感じにくくなってたのかも知れないな…と、今思う。

 

ダンジョンでは、普通のコンパスなんか役に立たない。

地図もない。

皮膚感覚で、遠くにある北極星の方向を探っていくしかない。

 

要領の良い人達は、いろんなツールを持っていたり、ショートカットできる場所を嗅ぎ出すことに長けていたりして、とっととダンジョンを抜けていく。

 

でも、私は、それをなんとなく感じながらも、そういう手段を取りに行くことが好きになれないので、ひたすら、道がないところに道を作りながらウロウロ。

もとから方向音痴なので、間違えるし、戻ってることも気がつかなかったり…で、ロスが多い。

まあ、ロスは無意味ではないけれど。

 

カンテラ化した松明には、通信機能が装備されてる。

ただし、だいたいにおいて片側通信で、双方向に切り替わるのは、ごく希。

それでも、その希に来る機会には、すごい情報量が圧縮ファイルになって届く。

中身を見るのも、一仕事。

なんせ膨大な情報量だから。

松明の炎で、でこぼこした壁に投影しながら読み解くので、ほんと、大変。

カンチガイ解釈も、多々出てくる。

それでも、その情報を元に進むと、ちょっとずつ、風景が変わる。

 

ダンジョンでは、いろんな人と出会う。

でも、それぞれの人は、「個々のダンジョン」を歩いているので、同じ時同じ場に居合わせたからと言って、同じ風景を見てるわけではない。

だから、言うコトもやるコトも食い違う。

相手の、その世界の設定上は大賢者だったとしても、私にもそう見えるかというと、そうでもない。

自分設定が貧乏で死にそうな人が、私にはもの凄く才気溢れた勇者に見えることもある。

天空のお使いという設定の人だって、ボロ布を巻き付けた物乞いにしか見えなかったりもするし。

 

もちろん、自分の「自分設定」も、そうやって人からは違った様相に見えているのだ。

 

 

 

そういう、ある日。

「あなたのいる場所はダンジョンじゃなく、山のてっぺん」

って、教えてくれる人が登場。

 

だから、どこにも行けないのはアタリマエ。

だって、移動する場所すらない、「てっぺんの同じエリアをぐるぐるしてるだけ」だから。

 

だから、目を向けるべき方向が違う…と。

センサーで北極星の位置と方向を感知しつつ、視線は上ではなく麓へ向けてやるべきだ。

 

 

そういえば…

「手元のカードは、必要なら<中の人>を呼び出して手を借りることができるんだよ」

と、教えてくれた人もいたっけ。

そのカードは、もともと、勝負するためのものではなく、中の人とのルートをつなぐ扉なのだから…と。

だから、そもそも、「常に役が揃ってる」のは、アタリマエなんだと。

 

 

ここは、てっぺんの、同じエリアの中なのか…。

もうすぐ、一年のサイクルが一巡する日がやってくる。

次のサイクルも、また、てっぺんのエリアをダンジョンだと思ってぐるぐる回るのは……なんか、それはそれでメンドクサイなあ。

 

 

で、カードは、そもそも揃ってるのがアタリマエなのか…。

それを使うのに抵抗があるのは、なぜかな?

それを使うイメージで、何か想起されてくることが、あるのかな?

 

揃っててアタリマエなら、なんで常に揃えられているのか…なんて、考える必要もないってことになるし。

 

ただ、あるものだから使えばいい…って、いうことだし。

 

 

てっぺんの上には、北極星がある。

その向こうには、大きな世界がある。

その更に向こうは、もはや測定できない「ないけど、ある。あるけど、ない」になる。

 

 

ダンジョンの出口がどこに繋がってるって、思っていたのか。

思い出せない。

もしかしたら、考えたことなかったのかも知れない。

 

 

カンテラを持って、麓の方を見る。

 

なんか、すごく、見覚えのある「絵面」だよね。

 

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ずいぶん前に、「ヴィジョンマップ」という名の妄想宝の地図に、これを貼ったっけ。

まだ、絵の道が戻ってくる前のことだ。

何年か、連続でそれを作ったけれども。

内容は、毎年、だいたい同じような写真を貼っていた。

もちろん、この絵も。

叶えたから貼らなかったものも出てきたし、叶えたけど更にバージョンアップするための画像を貼ったものもある。

 

今見直しても、それらには、ほとんど、変わりが無い。

 

移り変わるように思えても、実はほとんど変わりないものを、見ている。

 

 

なんか、急に、この日記を思い出した。

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根が深いところにある、って思っていても。

しょせんは、こんなレベルの刷り込みなのかも知れないね。

 

 


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