“活きる道"を生きるを選ぶや否や?
自分に甘い。
自分のことを、私はそのように見ている。
人はどう思うか知らない。
(人が思う姿は、私自身の実像とは違うと感じることが多々ある)
でもねえ。
最近、さらに居直ってきたので。
そういうのも、別にどうだっていいじゃん…って、思うようになってきた。
気にしたところで直るもんでもなし。
弱いところ、構造的にできないようになってること…そこに力を注ぐのも、この先大して長くない一生をムダにすると思うんだね。
改善の努力を辞める、ということではない。
できる範囲ならば、改善につとめることは、結局自分のためになる。
だから、それを放棄はしないでおきたい。
やめないけど、そこに焦点を当てない。
そういう感じ。
(もっとも、そうは言っても長年のクセというのはカンタンには消えないもので、ふと気がつくと「できないこと」に焦点を当てて「こんなんじゃダメだ。でも直さないでいるのがもっとダメだ」みたいなことを考え始めるのだ。その思考には、いいことは一つも無い。なぜなら、「思ったところで、自分はそれをやらない」とわかっていることばかりを取り上げているから)
自分を貫く
ってことは、決して、人の目を完全に無視してもよいってことではないと思う。
ただ、己が意に背くことを選ばないと決める以上、無視する部分も当然出てくるし。
そのために生まれる軋轢とは折り合う必要がある。
先日、あまりにも「自分がない」ことを選び続ける人…のことが話題に上った。
日常的な生活上の選択すらも自分で決めず、小学生の子どもに選ばせて決める。
わからないことを不安に思って不眠になるが、かといって、その「わからないこと」を自分で調べてみようとは思わない。
キッチリ細部まで細かく規定されれば、その通りにこなすことはできるけれど、なぜそうなってるのかなどを考えるってことは全くしない。
それは私の人生ではないから、別にとやかく言う気はないけれども。
自分を守ろうとしていながら、逆に失ってばかりなんじゃないのかな…と、思う。
人の人生には、ホンモノもニセモノもない。
でも、活きている人生かどうか、というのは、確実にあると思う。
この時代は、昔よりもいろんな面で、「活きている」ことを選ぶ道筋がしっかり見えると思う。
見ようとすれば。
なのに。
「一日生き延びることに必死」だった時代よりも、活きている道を選ばない人が多いんじゃないか…と思えてしかたない。
“活きる道"を生きるを選ぶや否や?
陶板に下絵の具で描きました。#illustration #art #artwork #painting #dragon #龍 #陶板 #陶器 #絵付け
F8サイズの陶器の板に陶器絵付け用の絵具で描いた「焼き物の絵」です。
こちらの展示会に、スペースがあれば展示したいと思います。
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