なんてことない駄文
刀、というものは、何かを斬るためにある。
眺められるために在るのではない。
時代的、文化的に、もはや「実用」することが現実的ではなくなったから、眺められるものになった。
いや、実用の時代においても、特定の地位や役割の象徴として作られることもある。
けれど、それでもやっぱり、それは「斬るため」に存在するものだ。
楽器は奏でられるために。
筆は描かれるために。
器は盛られるために。
道具は、使われるために作られ、そのために在る。
そんなことが、頻繁に、頭に浮かんでくる昨今。
なんだかよくわからないけど…
現実から、少し、遊離しているような感覚が、どうしても、末端に居座って離れない。
平面の絵の感覚が一向に戻って来ないことと関係あるのか。
…なーんてことは、考えてないけれども。
なんか、おかしいな~って。
下ろしてるはずの碇が、微妙に軽い。
植えたはずの苗が、微妙に浮いてる。
なんか、そういう感じ。
自分の質量の数割が、どこかに出ていっちゃってるみたいで、ちょっと居心地悪い。
なんだろね~。
まあいいけど。