緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

かさこ塾最終回から一夜 経験も出会いも無駄なことは一つもない

最初に。

世の中には、さまざまな、事業計画や起業に関する方法論や精神論があります。
それらは、どれも、間違いではなく、効果があるものである…と、思います。

ただ、実践する人間「個々」で、全く違ったものにアレンジ・編集しなおす必要があって。
結果的に生み出されたものは、一般的とされるやり方や手法からは逸脱したものになる可能性もある…のです。

まだ、スタートラインに立ってるに過ぎない立場で大きな事は言えないけど。

それでも、やっぱり。

 

「自分には、自分にしか合わない進め方というものが、存在する」

 

ということは、今の段階で、言えることだと思ってます。


かさこ塾4回を経て、今日の「参詣のようなミーティング」で手渡してもらった「ここから先の動き方」を見ると、ほんとに、そう思います。


不特定多数の方に伝えることではないので、ぼかした書き方しかできないのですけども。

 


自分がしたい事、実現したい事。
それは、自分の本来の欲求に従ったものであればあるほどに、個別カスタマイズが重要になる。

己の実現したいこと、というのは、他の誰がしたいことでもなく、自分の内側から出てくるものだから。

誰かが作ったやり方や、誰かを成功させたやり方というのは、あくまでも「サンプル」でしか、ないのですよ。

一例。
ケーススタディ

その中の要素を取り出して、組み合わせて自分流を作るのだけども。
その時、「外から持ってきた要素」を中心に組み立てるのではなく、中心にするべきは「自分の内側にあるもの」でなくては、うまくいかない。

「ああ、これがやりたい」という欲求と、もう一つ。
「ああ、これはやりたくない」という欲求。


好きなことと求められることの交点を探せ。

…とは、よく、言われること。

好きなことだけでは需要がない。
需要からだけ考えても、続かない。
だから、その交わるところを探せば、「好きであり、なおかつ、求められること」が見つけられるであろう。

と、いうことですね。


「やりたいこと」と「やりたくないこと」の交わる点、というのも、大事です。

それは、自分の中で、はっきりさせておかないと苦しくなることだと、思います。

幸いにも、私は、身近に適切かつ、その時の身の丈よりも少しだけ高度なテーマを出してくれる人が、いつも、いてくれます。

(そうなるように、自ら動いているのだけどね)

5月からこちらの動きは、いよいよ、「現実を作る」という段階に入ってきたことが感じられる、非常に実践的でありハードルの高い(しかし高過ぎではない)課題が目白押しでした。


まだ、言語化できるところまで落としてこめていない部分もたくさんあるので、じっくり整理していきたいと思います。


とにかく。

 

「自分には、自分にしか合わない進め方というものが、存在する」

 

このことだけは、本当に、実感していることです。
誰かのやったやり方に乗っかるのは、確かに、ある意味でラクなのです。
でも、それだけだったら、やっぱり、どこかに、なんだか消化不良な感覚が残るのではないかと思います。

世の中に100の成功メソッドがあるとして。
自分にフィットするのは、その中のたった一項目しかない…のかも、知れない。

それを見つけ出すことができるのは、やっぱり、自分しかいないのです。

 

 


かさこ塾、全4回を終えた昨日。
講座の最後に、かさこさんから、「名古屋9期生へ向けての3つのメッセージ」を、いただきました。


講座やセミナーではよく言われることですが、「同じ回」には、なにがしかの、共通したテーマや課題がある…と。
そこに参加する人たちには、方向は違えども、共通の何かしらの要素があるものなのですよ。
これは、今までたくさん、講座やセミナーに参加してきて、実感として、わかります。

9期生へのメッセージが何だったのかは、ここには書きません。

しかし、その3つは、全部、私個人には、もっとずっと前から出てきていることでもありました。

そして、一夜明けた今朝、早朝から150km運転してやってきたここ、福井のM社ミーティングで、その3つが違う文言となって、提示されました。

3つを全て統合した上で、さらにその根底というか、基礎・土台となるような文言として…です。

 

世の中ってのは、なんてまあ、恐ろしいまでに精密にタイミングが計られていることか(^_^;)
後ろの見えないヒト達のロックオン甚だしいのだけれども、もう、それを云々はしないでおこう。

 


前の記事【楽しい、っていうこと そして、まだ表に出られない思い】  の中で、

 

 今までやってきたことを、ある意味「放棄」するような発想。

…かも、知れないこと。

それが、ずっと、頭の中にあるのです。

まだ、口に出せない、文章にもできない。
それでも無視できなくなってきている。

 

こんなこと、書いてます。
この「まだ表に出せないでいること」を、懇親会の最後に、かさこさんに、ちょっと話しました。
「いいと思います」と、おっしゃった。
それは、予想してました。
かさこさんは、そうおっしゃるだろうと。


けれど、日本海側で引っ張ってる後ろのヒトは、そうは言わないのは、わかっている。

どうしたもんかな~と、思いながら、今日運転してきました。

 

そしたら。
なんとまあ。

こっちでは、それ言えないかな…と思ってたことが。
言う必要が、なくなりました。

ありがたい。
怖いくらいの物事の運びですが、しかし、ありがたい。

やることは、今までと変わらないのだけど。
アプローチの仕方を絞り込めたことで、私が「これをやるのやめたいな」と思ってたことは自動的に、除外されました。

「そっちの方なら、積極的に考えましょう」
そう思う方向に絞られたことで、億劫な方向は考えなくてよくなった。

もっと先には、どうかわかりませんが。
ひとまず、すごく、気が楽になりました。


かさこ塾に参加しなかったら、その思いをこういう形で自覚することはなかったと思います。

なんというか…一般的な流れとして「こういうことが必要である」という先入観がありました。
だから、やりたくないけどやらなきゃいけないし…と思ってきた。

でも、本当に、「自分に合ったやりかた」というのは、一人一人、違うんだねえ。


ぼかした書き方しかできないから、わかりにくくてすみません。

 

人と人のネットワークって、本当に、個人の予想をはるかに超えたところで、設計されています。
たどった道筋は、何一つ無駄にはならないし。
出会った人も、誰一人、無意味ではありません。

今すぐにはわからなくても。

 

私は、具体的には神仏やら龍などの「目に見えない、人間の信仰の対象となるもの」を題材にしています。

でも、私が信仰しているのは、「世界という存在そのもの」です。
よいことばかりではない。
天災も人災も理不尽もたくさんある。

それが「世界」で。
「自然」で。

 

一人ではほんの小さな塵みたいな存在でしかない人間ですが、その「一人」が個々に発するエネルギーというのは、世の中を動かす。

 

自分が今、「この時」に「この場」にいて、「この関係性の中」で「このこと」に関わる。

そういう「人生の上で通る、一点」の持つ意味というのは、後になってわかるんですよ。

だからこそ、「今を精一杯生きる」のが大事で。
だからこそ、「死を想え」なのです。


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