“こだわり”というコトバ。その違和感が腑に落ちた!(短歌復活)
そうか、「こだわり」というコトバの使い方…… →本質以外のところでこだわるのはやめよう – 東芝と新国立競技場 http://t.co/wt0e80E59O
— 異界絵師 緋呂(ひろ) (@HIRO_eshi) July 13, 2015
上に貼った記事から、該当の部分を引用。
「こだわり」の本来の意味を知った
「こだわる」という言葉はマイナス評価の言葉であって、プラス評価に使うのは、間違いだということを最近知った。
読売新聞の「編集手帳」というコラムを書いている、竹内政明さんという方が言っていた。
たくさんある新聞一面のコラムで、「編集手帳」が一番名文だなって、常日頃思っていたので、興味深く読んだ。[こだわる]
つまらないことに心がとらわれて、そのことに必要以上に気をつかう。
拘泥する。本当はこういう意味だったのです。
それがいつしか乱れて、細かなことまで気をつかって味覚などの価値を追求すること」なども、「こだわる」という言葉を使うようになった。
でも、これは本来とはまったく意味がちがう正反対の使い方。
そうだったのか…と、ものすごく納得した。
「こだわりの名品」といった、プラスイメージでの使われ方ばかりを見聞きし、自分でもそういう風に使ってきた。
のだけど…。
どうも、なんか、スッキリしなかった。
だって。
「こだわり」というコトバが示す「状況」は、どちらかというとマイナス面を言う場合が多いんじゃないか…っていう気がしてたから。
「おまえのこだわりなんか、どうだっていいんだよ!」
みたいな。
単なる独りよがり、独善的であることを指摘するコトバ。
指摘っていうよりは、もっと強い。
「拘泥する」というコトバに集約されるイメージ。
マイナスの意味での「石頭」で、「頑固者」で、「執着が強い」という。
少し緩めさえすれば、もっと良いものになるだろうに…ということ。
本来ならば、本人の手枷足枷となる、負の信念。
ビリーフチェンジ…などの手法によって「書き換えを推奨」される類いの、己を苦しめるマイナスの信念。
ただ、趣味で、自分だけの世界をつきつめていければそれで良い、っていうのなら、別に「こだわり続ける」をしたら、いい。
でも、それを、誰かの役に立つことに昇華させたいのなら、再考した方がよい。
誰かの役に立つ…ということは、「自分一人の価値観」の領域から出なきゃ、実現できないのだから。
もちろん、とんがったところが全くないと、それはそれで何もひっかからなくて、スルーされちゃう確率が高くなる。
それはそれで、別のマイナスではある。
やっぱり、ここでも大事なのは「さじ加減」ってヤツだなあ~。
でもね。
やっぱり、少なくとも、他人を攻撃する・傷つける・バカにする・笑いものにする…といったことによって差別化を図る…といった、「禍根を残す」やり方は、控えた方がいいと思う。
そんなやり方をしなくても、とがったところを見せることはできると思う。
人の心に刺さる何かを発信することはできると思う。
記憶に残るものを創ることは、できると思う。
【一首】しょーもない、ちびたプライド誰のため? 百害あっても一利もなしナリ
以前、アメブロでわりと好評いただいた短歌を、また載せてみようかなと。
気が向いた時ね。
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