円空・木喰展 特に木喰仏に思うこと
観音様の陶器用原型を作りました。
まだ、お見せできないので、上の画像も一部分だけを加工してます。
これからは、仏様も積極的に作ります…と、先日記事にも書きました。
作ってみて、私の仏様は雅で精緻なものではなく、彫りを単純化した感じ…円空や木喰のような感じだな、と、思っていた。
そうは言っても、特にこの二人の仏像が好きなわけではない。
円空よりは木喰だな、とは思う。
けど…どちらも、正直、そんなに好きではない…んだよね…。
好きなのは、やっぱり、精緻に彫られたものだ。
顔の表情とか、衣のヒダとか…。
でも、どうやら私の手から出てくる仏様は、その方向ではない。
それは、4月から陶芸品を作っていて、思っていたことだった。
今回、原型を二つ作ってみて、やっぱりそうだな、と実感したってところ。
…と、思った矢先。
なぜか、名古屋で今、円空・木喰展なるものが開催されているって、知人がFacebookに写真をUPしていたのを見て、知った。
そんなに好きじゃない、というとおり、今までじっくりとホンモノを拝見したことはない。
参詣したお寺に所蔵品があったので、1、2体は拝見しているけども。
なんで今?
それも、会期が終わる直前の情報?
6月からやってたってのに。
(でも、その頃知っても行く気なかっただろうけど)
もう、これ、絶対に、行けっていうことだよね…と、今日、陶芸倶楽部に行く前に寄って来たわけだよ。
チケット&図録。そして、つい買ってしまった写仏セット(笑)
この展覧会。
見た方がいいのか、やめた方がいいのか…正直、行く前は迷った。
木喰仏みたいな感じになるかな、と思う自分の「仏様の造形」は、まだ、本当に手から出てきてない。
次は不動明王。
今このタイミングでホンモノを見たら、影響が出る。
絶対に。
逃れることはできない。
観音様と同時進行で作った龍の原型(一部。これも、まだ見せられない)
こういう感じとか。
木喰仏にある彫りに、雰囲気は似てる。
不動明王の光背…背負った炎の造形などは、私もこういう彫りを使う。
他に考えられない。
これを作ってる時、すでに、不動明王の光背をイメージしていたわけだし。
今、ホンモノの木喰不動を見るってことは、この後、ものすごいハードルになる。
でも…似ているものは、見ても見なくても似ている。
駐車場を探しながら、それでも、まだ、迷った。
結局、行ったのだけど。
明日までということで、混んでいた。
行ってきて、引き返さなくてよかった、と思った。
観客のおじいちゃんおばあちゃん方の多くが、一体一体の前で手を合わせて、頭を下げている姿を見て、そう思った。
劣化亜流のようになっても、いいじゃん。
それが、今の自分のめいっぱいの力なら。
もとから似ている要素を持つなら、見なくたって似る。
自分の造形にかげりが出ることを恐れて、見ることから逃げてみたって。
手から出てきたものが実際に似ていれば、結局は、関係ない話。
木喰という方は、61歳で像を彫りはじめ、91まで彫り続けたそうな。
「願」のために。
91歳の、これが絶筆となったという巨大な掛け軸「阿弥陀如来図」を見て、なんだか、すごく、可笑しくなってしまった。
私がよく知っている、お世話になっている、すごく尊敬している人の描く仏の絵に、かなり似た風貌だったので。
しかも、木喰の仏様には、その人の顔を連想させる像が、いくつもあるし。
なーんだ。
そうか。
似ているのは、むしろ、そっちか(笑)
こりゃ、もう、仕方ない(笑)
開き直って、私は私の仏様を、作るのみ。
★外部サイトからも読者登録できます!→