"100"は、タダの数字。でも"100個"なら、それは壁
こわい話をひとつ。
クオリティ高いのに自信がなくて、仕入先で何度叱られてもずっと激安で売ってた作家さんに一件の注文。無事取引を終えたら、同じお客さんから同じ作品を同じ価格で百個ずつ作れと言われ、資材が確保できず資金的にも無理なのに引き下がってくれなくて凄く困ったらしい。
— Yati (@kabor_ic) June 18, 2015
ほぼ材料費そのまま、売れ残りが怖くて更に値引きまでして完全な赤字を叩き出していたその作家さんは、たちの悪いバイヤーからしたら、素敵な作品を作る人ではなくて材料確保から組み立てまで工賃タダでやってくれる奴隷と見なされたわけです。それはきっと楽しくないと思う。
— Yati (@kabor_ic) June 18, 2015
こういう投稿がTwitterで流れてきた。
これ、すごい身につまされる話。
私は今、数奇なご縁でバックアップしていただいている某会社の担当者さんに、いろいろと企画を持ち込んでいる。
私のような無名中の無名な人間を相手にしてくれること自体が奇特なわけで。
相手にしてくれる以上に、「企業として<作品を商品化すること>」についてを、基礎から実地研修みたいにして、アドバイスやら課題やらを出していただいている。
その中で、「100個」という単位が、何ヶ月もの間に繰り返し登場していて。
上のツイートを見て、その単位っていうのは案外と、キーになるのかも知れない…と、思った。
「これを100個作れる?
100個作って納めるとしたら、単価はいくらなら自分は納得できる?」
そういう聞き方をされたことが、まだ記憶に新しい。
サンプルに持って行った作品があって。
それを、数個…せいぜい20個くらいならば、同じように作ることも別に苦ではないだろう。
私の発想っていえば、その程度。
それを、100個。
けれど、手作業で100個、同じデザインのものを作るとなれば…。
しかも納期もあるわけだし。
もちろん、外注や工場発注も視野に入れての話なのだけども。
工場発注としたら、逆に100という数字は、最低ラインになってくる&そこまで持って行くには、全く別の組み立て方を作る必要があって、これはこれで高いハードル。
で、どうしたって、工場制作なんて無理っていうモノもある(ていうか、今まではそういうモノしか作ってきてない)。
上の問いを投げられた時のサンプルも、まさしく「自分以外の人には、真似て作ってもらっても限度がある=どうしても自分で仕上げる必要がある」モノだった。
「100個、私が作るってことですよね?」
「うん、もちろんそう」
「…………」
これ、いくらで売る?と聞かれて、ひねり出した金額。
それを聞いて、更にたたみかけるようにして問われた「100個なら?」だった。
100個を全部、自分の手作業で納期を見ながら作る。
それを、納品する。
販売価格には、当然だけど、利益やコストが上乗せされる。
けれど、多くの人が支払える金額には、限度がある。
ネームバリューも加算できない私のことだから、なおのこと。
でも100個作るとなれば…
安すぎる単価をつけたら、自滅するよ。
ホントの話。
無理だもん。
そのサンプルは、まだ、企画途中なので、何も具体的にはなっていない。
まだまだ、モノ自体に改良する余地があり、バリエーションもいくらでもできるモノだし。
でも、そういう具合に考えさせてもらえるって、ホントに、ありがたいと思う。
きちんと指導してくれると感じた相手の意見やアドバイスは、受け入れた方がいい。
盲信はよくないけど、「いえいえ、私なんてそんな滅相もない…」みたいな、ヘンなへりくだりは、やめたほうがいい。
それは、謙遜でも美徳でもなく、己と己の作品を叩き売ることでしかない。
むしろ、高すぎる方がマシかも知れない。
相手にされないかも知れないけれど、失うものもない。
以前、ある先輩の絵描きさんから、「自分が思う金額の3倍を売値につけなさい」と言われたことがある。
今でも、「いや、さすがにそれはちょっと……」と腰が引けるのだけども。
でも、たぶん、その方が正しいのだろうという気も、する。
私は今まだ、自分の適正価格ってものを測りきれない。
というか、世の中に出ている品物全般に、適正がわからない気がする。
すでに付けられている値札を見て、自分がその品物に対してその額を払ってもいいか…という感覚でしか、モノを買うこともできない。
安く良いものが買えたら嬉しいけど、安かったらいいかというと、それも違うし。
良いモノ、気に入ったモノなら、いくらでも払うか…っていったら、それも無理。
「品物」に支払える金額には、その物体としての価格以外の要素が、含まれる。
それを買うと、自分はどういう気持ちになるのか…どうなれるのか。
何を得られるのか。
これだけ苦心したのだから、これくらいもらわないと!
みたいな感覚で値付けしたって、それは無効だ。
かといって、安く売りすぎれば自滅するし、モノも大切にはされないだろう。
好きなように好きに作る、ということとは絶対的に違う領域がそこにはある。
まだまだ、模索は続く。
たぶん、この道を行く限りは。
ということは、一生…ってことだ。
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