旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

人と人との理解/幻想/意図

 

そもそも、人間同士は、仮に肉親であっても「別の人間」なのだから、根本的に違う。

 

理解、というのも、人それぞれに「どういう状態になればそうなったか」という感覚は違うので、A氏はB氏を理解していると感じてても、B氏はA氏がまったくわからないと思ってる…なんて、普通に起こる。

 

そのズレが大きく出た時に、「裏切られた」と感じたり、「失望した」と感じたりするんだろうな、と思う。

 

 

以前、私には「尊敬」というのが大きな要素なのだ…ということを書いた。

「尊敬」が「縛り」に化ける時 

 

尊敬できるかどうか、だと書いたけど、もっとちゃんと書くと

「尊敬したいんだよ、させろ!」

という欲求が強い、ということ。

それができないと、すごい怒りが沸く。

 

だけど、そんなことは相手には関係ないことなのであって、あくまでも自分の問題。

だって、その人はその人なりのことをやっているに過ぎない。

私がその人に対する期待値を高く持っていたか、どんどん高くしてしまった、っていうことに過ぎない。

 

それこそ「知らんがな」というやつだ。

 

そういう「自分よがり」な感覚の元で相手に何らかの働きかけをすると、おおむね、失敗する。

相手が、こちらが勝手に期待する方向に動き出すことは滅多となく

(そんなことがあれば、それは幸運だったとしか言いようがない)

こちらが作ってしまった溝がさらに深く広がり、ヘタしたら修復不能になる。

 

 

提案はする。

後は、見てるだけ。

 

今は私は、それが一番よい付き合い方なのかな…って、思っている。

 

そして、見てる以上の働きかけをするエネルギーを、自分のことに向ける。

 

そうすると、「いやいや、はじめから、相手にどうこうやってるほどの余裕なんか、自分にはなかったっしょ」というのが、よくわかる。

 

それでもガツンとブチ当たっていきたい…というほどの相手に出会ったら。

それこそ、ホンモノの幸運、奇跡的な出来事…なんじゃないのかな。

 

 

 

 

https://instagram.com/p/3NRhSfJiaU/

バリ取って、下地のジェッソを塗り塗り。しかしこれ、狐というより猫だよね。まあ、どっちでもよい。どっちも好き。面の台から自作したいな。

 

 この面、6つもあるんだよね。

でも、楽しくなってきちゃって、6つじゃ足らんかも~。

3つ、白で下地塗りをしたけど、どうやって装飾しようかな~♪

あとの面は、他の色で下地塗りしてみよっかな~♪♪♪

もふもふとか、キラキラとか、つけてみちゃおうっかな~♪♪♪♪

いじり放題だ~い♪♪♪♪♪

 

 なーんてね。

他人(自分以外の人、という意味で、家族でも他人)を、そんな風に装飾とか、変形とか…しちゃおうとしても、「勝手な幻想」が叶えられることは、まずない。

 

でも、自分が自分をどうするか…ということは、意図すれば叶えられるのさ。

 

 

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