重要だから何度でも己に言い聞かす-楽しむべし!と
本当に、何度でも思い出さないと、忘れてしまう。
どんだけ、自分のやることを苦行的に考えてしまう習慣がついていたのか…と、ほとほと呆れるくらい。
楽しむべし!
「すべき」ではなく「でなければならない」でもない。
気楽に、喜劇としてとらえよう。
結果オーライ上等!
神さまづきあいも。
見えない世界と関わることも。
それを、三次元的なモノに投射していくやり方も。
何を描いて、何を作るか。
どうやってそれを見せるか。
自分の立場を、どう示すか。
眉間にしわ寄せて、悲壮に悲壮に酔う…というスタイルに嫌気がさして、いくつかの人間関係を自分から切り離したのは、何のためか。
型に固執することにウンザリして、いくつかの手段を放棄したのは、何のためか。
どれもこれも、「楽しく絵描きを全うする」ためだ。
それを、如実に語った「ある出来事」も、あったことだし。
「鑑定のために送る必要があった筆書きを、いざ送ろうとしたら色紙が長すぎてA4のレターパックにすら入らなかった→いいや、切っちゃえ!ってハサミで適当に切っちゃった」
この行為が、「枠にはまりたくないんじゃ!」と暴れてるで候…と(笑)
なのに、自分で枠にはめようとするクセが、なかなか、直せない。
枠があった方が安心する、ってことも、多々あるから。
なぜって。
ヘタにどうとでも対応できる中途半端な器用さのおかげで、いつでも
「いいですよ、どうとでもできるので」
なーんて、クソな答えを出してしまうことが、習慣になっちゃってたから!
で、ある!
そんなんで、楽しいか?
楽しいわけないやん。
この悪癖をぶっちぎってくれつつあるのが、今、あちこち奔走して、ない知恵を絞って考えてる、二種類の商品企画。
楽しいよ。
今までやったことないことを考えてるから。
でも、もう少し先に行ったら、どこかで必ず「マジっすか?!」って大衝撃・大打撃を受けるような局面が来るよ。
そんなの御免で避けたいけど、避けることはたぶん、できない。
なんせ、今までやってないことだらけだから。
私の常識は、全く通じない領域だから。
でも、それがあっても、楽しい。
ホンモノかどうか…とか
正しいかどうか…とか
様式を守っているかどうか…とか
作法通りかどうか…とか
そんなの、どうでもええやん。
それをとっぱらったら、初めて、
「神さまがた、ちゃんと思いは伝えていくから、よろしくね!」
という気持ちが、沸いてきた。
メンドクサイこと考えるクセがあるって、意識して。
それが始まったら、そこに没入するんじゃなく、なんでそういうことを考え始めてるのかを考えてみる。
すると、けっこう、「逃避行動」でしかない…ということも、わかる。
お気楽に、流れを無理に曲げようとせずに。
楽しむべし。
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