旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

基準となるものが有限であることと、損得に神経質という民族的な思考の方向

日本は古くから農耕を主にして生きてきた民族の国。

きっと、だからこそ、日本人は「損をする」ということに神経質なのではないだろうか。

 

農耕する上で絶対に必要なのは、まず、土地。

この広さが、耕作量をほぼ決定する。

土地の質も影響は大きいが、それは改良することができる。

しかし、土地は、拡張したかったら人のものを借りたり譲り受けるか、まるで未開の場所を探し出して切り開くしかない。

集落の中で優良な場所が開いていることは無いから、人から譲り受けることができないならば、外へ出て行くしかない。

 

結局、「その囲いの中」において、「少しでも多く確保する」思考にならざるを得ない。

 

そんな、民族的な思考の向きってものが、あるような気がする。

 

 

見返りなく人に分ければ、自分が確保できる分が減るだけなので、損。

少しでも人より多く確保することができれば、得。

 

 

人口が減少し始め、家や土地が徐々に、余り始める。

そんな時に、「貨幣経済ではない時台」の兆しがハッキリしてきた。

損しないことが重要だった時代も、変わり始めている。

損か得かに左右されない価値観。

有限のものをいかに取り合うかではなく、必要な時だけ手に取り済めば放す。

決まった容積の中にどれだけ効率よく詰められるかではなく、どうやって次へ循環させていくか。

 

 

あらゆることの基準や指標が、今までの世界と変わりつつある。

平成が終わろうとしている。

次の時代に生まれてくる子達は、どんな世界を創っていくのだろう。

 

 

今日は節分明日は立春。旧正月は16日

東洋の占術で、よく「節分で区切る」というのがある。

節分までは、前の年として考える。

節分翌日=立春から、翌年として考える。

 

たとえば今年なら、今日までの誕生日の人は「酉」と考えられ、明日からの人が「戌」と考えられる。

 

この区分は「二十四節気」だ。

 

国立天文台暦計算室の「こよみ用語解説」からの引用を貼っておく。

よみ用語解説 二十四節気 - 国立天文台暦計算室

二十四節気(にじゅうしせっき)は、1年の太陽の黄道上の動きを視黄経の15度ごとに24等分して決められている。
太陰太陽暦(旧暦)では季節を表すために用いられていた。
また、閏月を設ける基準とされており、中気のない月を閏月としていた。
全体を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けて、節気(せっき)と中気(ちゅうき)を交互に配している。

 

暦Wiki/季節/二十四節気とは? - 国立天文台暦計算室

二十四節気は季節変化を表す指標=太陽暦の要素です。 太陰太陽暦では二十四節気を使って季節が大きくずれないように調整します。 二十四節気を使うと年の途中でも季節のずれを修正することができます。このようなうるう月 (閏月) の置き方を歳中置閏といい、逆に言えばそのために二十四節気が考案されたわけです。 二十四節気の基点は冬至であり、古来より冬至を観測することで暦を正していました。

 

 

暦Wiki/太陰太陽暦 - 国立天文台暦計算室

 

日本は農耕国のため、雪解けとなり新しい耕作のサイクルが始まる春が重要視された。

立春、立夏、立秋、立冬のうち立春を最も重要とし、特にこの区分を「節分」と指すようになった。

正確には、節分は各季節ごとにあるわけだが、単に節分と言えば2月のこの節目を指す。

現代では、2月しか意識されないと言ってもよい。

 

この新しいサイクルの起算日を指して「新しい一年が始まる日」とも呼ぶわけだ。

 

太陽太陰暦の正月=1月(睦月)は、立春後に一番最初に来る新月の日のこと。

今年はそれが2月16日のため、この日が睦月朔日/1月1日となる。

現代人の感覚では、正月=元旦=1月1日なので混乱しがちだが、立春は旧正月ではない。

 

 

 

専門的な話になると、かなり複雑で難しい。

私もあんまり理解してない。

理解していないながらも、混同もしないように気をつけている。

(というか、混同しないよう気をつけるようになった。この数年で)

 

私は現代人なのでグレゴリオ暦による新年を、普通に新年として考える。

しかしながら、神ゴト的考えに沿う場合は、一年の起算とされる立春と、睦月朔日の両方で考える。

だから、氏神様やよく参拝する神社は普通のお正月に初詣する。

ご神事ではあるけれど、季節行事の感覚で。

そして、伊勢には立春後に行くことにしている。

季節行事ではなく、ご神事としての感覚に大きく寄って。

 

もちろん、このあたりは、現代においては単に個人的な流儀という域の話ではあるが。

 

 

今しかない、というベストな時にベストな人に会えるってなんて素晴らしい!

タイミング、っていうのは、本当に、大事。

自分から合わせに行くことは、当然、あるんだけど。

意図してない時に意図してない出来事がまさしく今しかない!ていうタイミングで起きると、驚くと同時にテンションがポーンと、跳ね上がる。

 

今日、まさしく、そんなことがあった。

 

 

会いたいなと常々思っていた方が名古屋に来られるというお知らせを見て。

自分も予定が空いている日だったから、即座に一枠確保した。

ぶっちゃけ、相談したいこととかなかった。

単に、直接会う機会を逃したくなかっただけ。

 

その方は、すごいビジネス脳の持ち主で。

すごい精度の、ちょっと珍しい見えない世界方面の能力を研ぎ澄ましている方。

 

いざ、時間が来ても。

私は、特に何を話そう...っていうのを決めてなかった。

 

的中率の高い診断メニューをされているので、まずは...

私が、この先、どのように関わるのがよいのか?

といったことを中心に、二人ほど、相性を診断していただいた。

結果は書かないけどね。

大いに、納得のものだった。

私自身も、おそらくそうだろうなと感じていたことを、もっと具体的で現実的な意味合いでもって、明文化してもらえた。

その段階で、今日はもう満足かも...っていうくらい。

 

しかし、すごかったのは、その後。

私がぽろっと漏らした、もうすぐ始めようと思っている企画のこととか。

私が、絵描きとして、どういう風にしていきたいのか...とか。

そんな話を、次から次へと、具体的に落とし込んでくださった。

どういう風に動いていくと、どういう結果が予測できるのか。

やり過ぎたら、どうなると予想できるか。

 

 

すごかった。

マジ。

今日でなかったら、これはなかった。

 

ということで、計画していた日程を少しずつ調整し。

これから先の動き方を、未来地図に照らして調整し。

更に、その後できていくであろう、分岐する枝葉に伸びる芽の予測。

 

 

自分にビジネス脳がごっそり無いのがなんか悔やまれるな...と思っていたけど。

別に、私にそれがなくても、適切な時に適切な人を見つけることさえできれば、何も問題はないのかも。

 

今私は、継続的に相談している方もいる。

とても、ありがたい。

 

 

なんて、人に恵まれた人生だろう。

楽しいよねー、この三次元世界。

凹んだら、上がるだけだし。

作ったら、壊すだけだし。

壊したら、また作るだけ。

 

シンプル!

 

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