緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

未来を妄想するための手帳を買いました。シンプルイズベスト。

手帳を買った。

 

art-hiro-b.hatenablog.jp

 

地元の書店に入っている文具コーナーだったが、なかなか理想的なのを発見した。

表紙はこのシンプルさ。

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「この手帳の使い方」とか序文といったイントロ一切なし。

開くと、すぐに2年分のカレンダー。

玉も至ってシンプルでGOOD。

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次は2018年の年間プランシート。

余分な装飾一切なし。

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続いてマンスリーページが1月から2019年3月まで。

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本命、ブロック式ウイークリーページ。

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これが2019年4月第一週まで収録されている。

その後は、数ページのフリーページ。

方眼だったら尚理想的だったけど、薄い破線なのでそんなに邪魔にはならない。

そして最終ページに、緊急連絡先と、メーカー情報。

以上。

 

路線図だの、暦換算表だの、住所録だのいった付録は一切なし。

潔い。

実にいい。

 

罫線も濃すぎず、見づらいほど薄くもない。

万年筆使ってみないとなんとも言えないところはあるが、触れた感じでは紙質も良い。

ウイークリーページには数項目記入できるTODOリストの欄もある。

 

なにより、余分な飾り罫やらイラストやら色分けやらが一切ないのが、よい。

装飾はいらんがモノクロだとちょい味気ないよね...という実に微妙なさじ加減のカラー仕様は素晴らしい。

 

思考を邪魔しないシンプルさ。

理想的だ。

 

ビニールカバーがついているので、その内側に願掛け絵描いていれれば表紙のデザインはそれほど問わない想定だった。

が、こいつはシンプルな上に好感の持てる表紙デザインなので、このままでいこうと思う。

願掛け絵は、見返しの白紙のところに直接描こう。

 

 

 

なぜ、突然、未来妄想用の手帳を買おう...なんて思ったか。

 

それが、年始にふと、 「未来を妄想するためには、紙ベースで俯瞰できる方が有利だよな」 て、思ったんです。

スケジュール管理のためでなく、未来妄想のために手帳を復活するかな、という話 - 緋呂の異界絵師通信

 

と、まあ、そういうことなんだけども。

そもそも、なぜそう思ったのか...というと。

 

・目標への進捗状況

・今日やったこと

・感想など気づいたこと

・明日の目標

 

というのを日々、アウトプットする機会をいただいているのだ。

こういうの、サラリーマン時代やってたなあ...と思いつつ。

けれど今の毎日の暮らしは「自分が決め、自分がやりたいように、やれることをやる」ことが全てだ。

他人に決められた予定はない。

それをデジタルベースで書いているのだが、これがなかなか、具合がいいのだ。

 

ただ、それは期間限定での試み。

ずっと続くわけではない。

 

それが続くうちに、これを「良い習慣」として定着させたいと思ったのだ。

 

ブログは書く。

後になって、その頃に何があったかというのは、なんとなくブログから想起できる。

が、さすがに本当のプライベートなことを書くわけはない。

どのようにメニューを組み立てているのか、どうやって価格を決めたのか、その変遷や、アンケートの結果とそこからの行動方針...など。

ブログには書かないことが、日々、消えていく。

それを記録していくというのは、未来妄想のために非情に重要だ。

...ということが、今更ながら、理解できてきた気がしているのだ。

 

なんとなく振り返るのではなくて。

具体的に振り返る。

 

中期的な展望を妄想するには3年連用日記のようなものを選ぶのもいいかも...と思ったのだが。

この習慣を続けて定着したら、その後長期運用のための手帳を買えばいいという結論で今回は一年用にした。

 

 

さてさて...

行き当たりばったり、出たとこ勝負、なんとなく気分。

そんなことばかりで動いてきた私が、この行動を習慣づけることができるのか?!

できたら、どのように変化するのか?

 

我ながら、面白いなと。

来年の今頃、何を言ってるかな(笑)

 

 

Instagramでグリッド投稿してみた...ら、案外地味に悩むことに...

Instagramのプロフィールページ(自分の投稿一覧)は、正方形の画像がタイル状になって並んでいる。

 

こんな感じ。

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このタイル状のところに、分割した画像をうまく並べて、大きく見せるという手法があって。

アーティストのInstagramなんかでよく見かけていた。

カッコイイなーと思ってたので、やってみたのだ。

 

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どーん。

上の小さい画像がタイルになってる中に、赤い絵があるのだが。

それだけを9分割して並べたのが、上の状態。

やっぱ、これは迫力が出る。

 

 

しかし。

やってみて、改めて実感中なんだけどね。

 

これ、ズレると意味ないんだよね。

 

新しい投稿を1枚だけすると、9枚一組のパズルみたいになってる画像は、ズレて何だかわかんなくなっちゃう。

 

いやあ、時々、バラバラになってる状態を見たことはあったんだけど。

いざ、自分でやってみると、案外これは.........地味に後で悩むね。

 

だって、3枚追加しないとズレちゃうんだもん。

 

なので、赤い絵の後、困って、3分割で表示できる横長の絵を探したのだ。

幸いちょうどいいのがあった。

この後は?

投稿3つ分、画像がたまるまでできない?

今までお気楽に気分次第で投稿していたから、ちょっとは考えるきっかけになっていいのかもだけど。

 

 

そしてもう一つ。

Instagramは連投は嫌われる...って聞いている。

フォロー外しの対象になりやすいとか。

9分割したら、9連投することになるのだよ。

大きく見せよう!は完全に自分都合の発想。

連投はウザい!は、見る側の発想。

うーむ。

 

ズレてしまう時間は仕方ないとして、1,2時間あけて9枚投稿するか?

外すなら外しやがれ!て割り切って、9連投するか?

 

これからは、3投稿セット...が初期値になる............と。

 

あんまり困ったら、この9分割と3分割を引っ込めるかもね(笑)

 

しばらくは、3点1組投稿を続けてみます。

 

 

 

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「初詣」と「狭間の時」

初詣って、だいたいの人は行くよね。

うちも行くよ。

それも、何社も。

ルートは決まっていて、それをずっと続けている。

実際には2月まで続いていて、節分明けにお伊勢参りして、そこで一旦「年始の参拝」は区切り。

伊勢に参るまでに気が向いて行きたくなったところには、適時行く。

去年、戸隠と諏訪に参拝した時に、「これで一通り、行くべき地は踏んだ」てなったので。

以後は、決まった参拝は一連の年始の参拝と、適時の津島神社でいい感じ。

他は好きな時や必要な時に。

  

だけど、私は、初詣って別にどうしても行かなきゃならないものじゃないと思っている。

私には参拝も仕事のうちっていう面があるから行くだけ。

 

 

初詣って、たいていみんな、何らかの願い事をしていくと思う。

数円か、せいぜい百円程度のお賽銭で、すごいたいそうな願いを申し立てる人もきっといる。

いいと思う。

自由にやればいい。

そういう時くらいしか参拝しないとしても。

 

 

以前は私も、「こんな時ばっかり都合良く願いを聞いてくれって言うんだもんなあ」なんて、苦く思っていた。

今は、動機はどうあれ、行くってこと自体はいいことだ...と思っている。

まあ、はしゃぎすぎて無礼過ぎるのはどうかと思うけども。

その分は、どこかで痛い思いすることになるだけだし。

 

近所に住んでる年齢のわからない爺ちゃん婆ちゃんみたいなものだ。

普段はいるかいないかわからないくらいの存在感なのに、なぜか時々急に大きく感じることがある...ていう。

悪いことしたら叱るし、頑張れば褒めてくれるし、時にはご褒美もらえることもある。

気が向いたら肩をもんだり、お茶につきあってあげると喜ぶ。

神様も、そんな感じ。

特に、人の近くにいる神様はね。

日本の神様は、人と地続きの存在だから。

 

 

逆に、へんにありがたがる人達の方が、ちょっと怖い。

私も空の写真をよく載せるけど。

「龍様が!」

とか言われるとぞっとする。

もちろん、単にそう見える形状に写っただけじゃなくて、本気で「入ってる」こともあるんだけど。

 

なんか、そんなものばっかりをありがたがって、妙に神聖視している人達は、薄ら寒い。

 

雲を消せるっていうのを自慢していた人もいたけれど。

無意味に干渉すんのやめろや、としか思わない。

雲を消せる自慢しながら、龍っぽいカタチに写った雲の写真はありがたがる。

 

何も知らずにただ願い事したい時だけ行く人達よりも、下手に知ってて、感知もできるって人の方が始末が悪かったりもする。

パワーがあるからって、一般人が立ち入ってはいけない場所に入って行ったりね。

あなたにとって大事なことって何?と聞きたくなる。

 

 

新年は区切り。

私は節分開けの方が本当の新年だと思ってるけど、現代では1月1日だから、それはそれ。

 

私の感覚では、節分以前の1月に行く「俗に言う初詣」は、一年と一年の狭間の時...大祓と節分の間だから。

その狭間に、決まったルートを巡ってるような感覚。

 

祈願とか決意表明とか宣言とか、そんなことでもなくて。

お礼だけ述べてくる。

その地に座す、そのことへのお礼。

 

自分が正しいとは思ってない。

こうだと感じることをやるだけだ。

そういうものだから。

 

 

 

冬至から半月くらいしか経ってないのに、もう目に見えて日没が遅くなってきた。

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